8月18日

曇り。空一面に薄青い陰影の白い雲が覆っていて、その下に様々な形の雲が浮かんだり融け合ったりくずれたり、とてもきれいな曇り空。


最近腰痛と右肩から首にかけての凝りがひどく、目の疲れからきてるっぽい頭痛もある。頭の熱がそのまま留まってる感じがとれず悲しくなっていたら、熱が出た。6度8分のあたりをいったりきたりで、寝たり覚めたりのあまりよくない感じの微熱だけれど、多分1年半近くぶりの久々の発熱があって少し安心する。よかった、熱でた。食欲あり。

今までだと、食べたいだけ食べて熱い風呂に入り、上がるだけ上がった熱のまんま、泥みたいに眠って風邪が経過していくのだけれど、ウトウトする浅い眠りを繰り返しながら今はその体力がないことに気づいて、風邪がすんだら体力作りからはじめてみようかな、と考える。

翌日(つまり、今日)になっても微熱のままで背骨もびったりくっついていてたまらない。さいわい頭痛がひいていたので、いっそ動いてみたらどうかなと思って珈琲を詰めたり配達したり、甥っ子と小一時間ばかり駆けっこしたりして身体を動かし、ちょっと横になったりする。すると、見事に背中の凝りがとれて背骨がパラパラほどけてくれた。鼻水もだいぶ治まる(鼻水は水分不足だろうか?)

でも、そのあとがいけなかった。ゴロゴロしてたらまた背中がかたまってきて、無理やり横になるのもよくないんだなぁ、ということで今にいたる。


風邪で動かないあいだ、久しぶりに映画を観る。フランシス・ベベール『奇人たちの晩餐会』、小津安二郎『生まれてはみたものの』、ホドロフスキー『エル・トポ』、キューブリック博士の異常な愛情』。出鱈目に買い食いって感じ。インランド・エンパイアを見直そうと思ったけれど、断念。


談話は、僕は全然評価できなかった。あれを「美しい文章だった」というひとがいて、少なからず驚いた。言いたくない言葉が容易にみてとれるような回避の仕方で、曖昧な表現でもって責任の所在や具体的な方向をうやむやにして綺麗事を並べた話、という印象。ただ美しいことを言うだけでいいならポエムと変わらないし、そもそもこの談話は、美しい文章である必要は全然、ないはずだ。そこが評価の対象になっていること自体にも驚く。

それに、将来謝り続けることがないようにと思うのなら、やるべきことがあるのではないか。ドイツではナチス戦犯に時効がなく、最近も92歳のもとSSが裁かれていた。

先の戦争で、自分の命を賭してまでなにかを守ろうとした先祖の志や悲しみを尊ぶことと、その尊い命を回天や神風、自決や自爆といったひどい作戦や命令と引き替えに失わせた責任を問うことは相反しないと思うのだけど。

諸外国は外交において優位に立ちたいだけだ、という向きに僕も否定はしないけれど(外交とはそもそもそういうものだ、とも言えるだろう)、それなら尚更自国こそが過去の戦争責任に対する姿勢として厳しくあるべきではないのか。それとも、責任はすでに果たされているのだろうか、僕が知らないだけで。



ちまちまと読み進めていた『森のバロック』の第6章を読んでいて、目が醒める文章に当たって嬉しくなる。