6.27.2018

あれ?もう6月?昨日までは確かに6月だと認識していたのに、今日記を書こうとしてタイトルに日付を「6月」と打ったのに驚いた。


カフェ狐の喫茶日。

店に行く前に焙煎、3回。


短時間で雨が降ったり日が射したり忙しい日だった。

水出しコーヒーの味がコーヒーゼリーに抜群に合うのではないか、と思い至ったものの、ゼラチンをどう溶かすかで手が止まる。

4.26.2018

カフェ狐で喫茶日。

閉店間際、かなちゃんの100歳超えたおばあちゃんたちとの二の腕や肩の「触り合いっこ」の話。

僕が持論の「揉むよりさするほうが効果ある」説明を話すと、そこから100歳近くの老人が皆それぞれ特有の肌の垂れ具合、皺の具合でいくつかに分類できること、一見太っていても肌のたるみが痩せてる人やその逆であることがあったり、皆一様に肌が綺麗であること、面白い話をたくさんしてくれた。「とにかくみんな綺麗で面白くて可愛くて、人間以上になるんです。どんな人もみんな100歳まで生きて欲しい」というかなちゃんは、なんて素敵なんだろう。

甕さんの、意識なく余命半日のおばさんの手足をさすっていたら、三日後には目を覚まし、リハビリしてご飯をねだるまでになってしまった話もすごい。

6.24.2018

終日、テンリュウで珈琲を淹れて過ごす。

夜、バンドの練習。

帰り際、家の鍵を紛失。車の座席の間にポチャンと池に落ちた魔法の鍵を拾うように見つける。

上田に行った記念に『サマーウォーズ』を借りて、風景を楽しむ。塩田平、行ったことない僕にはよくわからない。いろいろ突っ込みながら、観る。


今日観た映画

細田守サマーウォーズ

6.24.2018

終日、テンリュウで珈琲を淹れて過ごす。

夜、バンドの練習。

帰り際、家の鍵を紛失。車の座席の間にポチャンと池に落ちた魔法の鍵を拾うように見つける。

上田に行った記念に『サマーウォーズ』を借りて、風景を楽しむ。塩田平、行ったことない僕にはよくわからない。いろいろ突っ込みながら、観る。


今日観た映画

細田守サマーウォーズ

6.23.2018

午前中、小説の執筆。2時間。45にプラス4枚。

完全に止まった。状況の提示でなくて、単なる自分の考えをたらたら書いてるだけになってしまった。

ゼーバルトアウステルリッツ』を読む。


午後、テンリュウ堂へ。急遽、明日は出店に。ありがたやありがたや。


夜、河合くんとシホちゃんとDARAへ。久々に外で飲んだ。


6.22.2018

10時に起きた。

wildtreeに初めて行けた。シャツと鞄。勿論、優子さんが目的。貴重な話が聞けた。

その足で午後から上田市に。

サントミューゼで、篠田桃紅展。

NABOで本を見る。初めて行けた。

小説の本棚が、直球どストライクの並びでいっぱい買いたい本があるけど、我慢。

優奈さんが「うちの本棚を見てるみたいだ」と言った。


がんちゃんで焼鳥、中央のステーキ屋さんでピザのはしご。


22時に上田を出て、下道で帰る。家に着いたら、ぴったり午前2時。

上田、引っ越したくなった。


篠田桃紅展。

はじめて、生で見れる機会で、行ってよかった。

拡大された部分、という印象がついてまわる。正方形の面は点、長方形の面は線で、細く引かれた線は何だろう?と思いながら見ていたら、それは紙には残らなかったかもしれない筆先の運動の軌跡のようだった。

心というと安易に過ぎて、身体の裡で幾度となくひかれる「筋」、筆先や指先に現れる動きの軌跡であり、作家の必ずしも可視化されなかった動き、閃光の筋。花火で描く光の線みたいな。


初期の書は、重力がある。天地が決まっていて、滝のようだ。

濃い墨と淡い墨の重ね書きは陽の光が照らした実体のある文字とそれが作り出す影。

「この人は音楽を線で表せる人なんじゃないか!?」と思ったら、まんま「音」というタイトルだった。


仮名を見るとすっと通った筋に一箇所とどまるところがあるように見えて、映像でみた喉元と関わるのだろうか。もう少し下のように見えたけれど。まるで植物や鳥のような人だ。


圧巻だったのは『永劫』(2012)で、60×240という幅に、たった一本の線(と土台のような小さな四角)で作品が成立していて、それはつまりは一本の筋がそれだけの空間に広がりを持っているということだ。潔くまっすぐに引かれた筋は、作家という存在の背筋そのもののようだ。

驚いたことに、同じ場所に展示された2010年の三部作で引かれている筋から、さらに深化?進化?していることで、百歳を超えてなお、人は進んでいくということだった。

見てて、勇気が出た。