4/28

朝起きて、ふと気付いた。

現首相が目指しているところは、国際社会での日本の地位を取り戻すことだけなんじゃないか。いまや、アジア諸国の発展は日本の比ではないし、中国や韓国がこれまで日本が自負していたアジアいちの座に収まってる。そこへの劣等感とプライドに突き動かされてるだけのように見える。

今や日本は内輪だけの盛り上がりで内向きのイタイ奴みたいな印象だった(クールじゃぱんの「クール」も、グローバリズムが指すところも異文化との交流、切磋琢磨なんてものじゃなく、自国文化の営業をしてるだけにしか見えない)。でも経済復興を目指す首相の目線は国内ではなく、国外じゃないのか。原発も、国防も、増税も九州の大震災にたいする態度も、そうやってみると、納得できてしまった。なっちゃんは、大企業の思惑に従ってる、と言ってた。が、多分そうじゃなくて、たまたま手段が彼らの目的に合致してるからに過ぎない気がする。本人がそうかどうかはわかんないけど、今の政府って、僕には相当したたかに見える。


苫米地英人が、いま国防に費やしてる金をぜんぶ、カロリーメイトとか保存できる栄養食に替えて、飢餓に苦しむ国に持っていく費用にも当ててばら撒いたらいい。そんなことをしてくれる国に誰が争いを望むか、余程国防になる。と言ってた。

日本が本当に内向きなら、いまみたいにはなってないだろう。僕が思う自立なら、本当に独立独歩を旨としてすすむのなら、僕なら何をするだろう。やっぱ、食べるものだ。まず生きること。

血流が滞ると身体は悪くなる。税金は極力やめちゃって、蓄えるよりも使えるようにしてあげる。どう使うか。それは、ホドロフスキーが「リアリティのダンス」の冒頭で言ってることだ。銀行の入り口の庇にあの文言を刻むのだ。

なんてことを、起き抜けの布団の中でぼんやり考える。


あー、とにかくやらなければ。自分が変わることが一番だ。選挙にいけば社会が変わるなんてのは幻想だ。人が変わっても、組織が、構造が再びその人を同じ匿名のものに変えるだろう。だいたい、自分では今の自分を変えようとしないで、お前は社会を変えろ!というは、なんか鏡に向かって叫んでいるように見えないか?

自分のことを思い返してみて、人はそんなに頑張ってばかりいられるようにはできてない。そもそも楽したいのが人間じゃないのか、と思うのだが。政治家も、サラリーマンも、僕も、たいして変わらない人間じゃないのだろうか。僕が惹かれるのは、そこから外れている人たち。


ということで、頑張って起きる。一日のなかで、そこだけ変える。他は、どうでもいい。でも、一個変えると他も変わる。習慣を変えること。そして!焙煎に行くのだった。




4/25

曇り。

昨日、最近眠りが浅いと言っていたら今日は爆睡。
なんとなく、宙ぶらりんの一日。午前中からなぜかドーナツを揚げてしまって、一緒にコーヒーを飲む。お昼にカレー。お米がおいしい。
原稿を送って、相談。初めてのことでなかなか難しい。尊敬する書き手の人たちを、改めて尊敬して自分の力に軽く落ち込む。
なんだか、だらだらしてるうちに一日が終わってした。『百円の恋』を観た。

4/24

晴れ、夕方から曇り。


最近、5時間くらいで目が覚める。胸椎の4番5番が詰まっているのがわかる。お菓子食べ過ぎ。

夜、眠るタイミングを逃して眠れなくなる。のたうちまわったあげく、起きてアヲハトのカレンダーの画を2枚描いて、5時半ころまた布団に入る。

でも、寝不足というより食べ過ぎでチカラが余ってるのかも。身体は寝たがってないのに、無理やり寝ようとしてるからいけないのかもしれない。躁?


夢を見た。こないだのは面白かった。夢が一つのストーリーとして流れずに、いろんなものがごちゃ混ぜになって作られてることが夢の中で意識して観察できた。不思議な体験。はじめは、松本六九ストリートのイベントみたいな感じの街中を歩き始める。すると、「歩く」という動作に引っ張られて、いつの間にか場面だけ変化した。純和風に仕上げた京都駅みたい、漆黒の漆塗りの壁に朱のラインが入った天井の高い空間に出店が並ぶ。左に折れると、今度は病院のなかのよう、白い壁にリノリウムの床、吊戸車式の扉。その空間に引っ張られて、一緒にいた女の子が、今度はおじいさんになっている。どんどんスピードが上がるおじいさん。ゆるい上りのスロープを最後は駆け出して自動扉から外へ出ると、そこは都心の美術館の庭みたいな感じの芝生とコンクリートの石柱。昼の強い陽射し。おじいさんは余裕で路地を走っていき、住宅街の一角にある喫茶店に入るとまた違う女の子になっていた。木製のブラインド。アイスコーヒー。隣の壮年の夫婦がブックラックを指して、「面白い展示なら、そこよ」というので(たぶん、さっきの美術館ぽさに影響されたのじゃないか)手にとってパンフを見る。若冲っぽかった気がする。


そこから、すごい面白いことになったはずなのだけど、忘れてしまった。まだ開発中のお台場みたいに白いフェンスに囲まれた空き地に点々と建物や工場が建っている、やたら広いのに全然車通りのない平地を下校してくる学生。同級生の勇がごつくてでかい大人、たぶん先生を連れてやってくる。というか、案内させられた様子。それで先生が片手で僕の両頬を掴んで、ぐいと引き寄せて、なんか言われた。で、反抗して、というかなにか正論を述べて、起きた後でも、「今度こういう状況になってら、そう言お。頭いいな」と思うようなことだってのに、もう覚えてない。だいたい、今後先生に顎を掴まれる機会なんてそうそうないから、使い道はなさそうだ。


起きてから思い出す夢は、こんな風には思い出せず大概、自分でこしらえたストーリーに沿って改変されるから、夢が持つ独自のルールや軸は忘れ去られるので、今回みたいのはかなり面白かった。夢は、記憶を圧縮して定着させる、そのとき全然関係ない記憶も勝手に繋げてしまう、ということを聞いたことがあるけど、まさしくその過程を生で味わった感じ。



4/21

雨。いちにち、雨だった。花咲き乱れる季節もあっというま。庭も緑一色になりつつある。最近、ゴリラみたいに頭がポコんと大きいカラスが一羽、庭にきている。


飯田に地震が来た時のことを考えている。

熊本を中心とした九州大震災に対する政府の言動を見聞きして、僕が考える国家の根本原則とは真逆な対応ばかりなので、不安でしょうがない。いまだに熊本大分地震と言ってるのは、中央から離れているからだろうか。政府高官の地元でないから、という話もあるけど、それも地元への愛着なんかじゃなくて票田だからじゃないか。そう考えたら、飯田なんて東京から近いから同じ地震による被害を被る可能性はあるけど、そうなったら中央は飯田どころではあるまい。

基本的に国は何もしてくれない、と5年前の震災からずっと思っている。(なんで、みんなまだ「いまこそ、次こそちゃんとして」と望みを持てるのかわからない。

選挙に行けば変えられるという考えも、甘えにみえる時がある。自分が変わらなきゃ。そういう意味ではみんな、同じ人間なのだ。秘密保護法や憲法解釈の際に「それで戦争が始まるわけじゃない」と言われた。先日のサイバーセキュリティ基本法の改正案や刑事司法改革関連法の可決への非難にも、同じことを言っている。逆に「戦争法」と名付けて批判する人もいたし、今回は「国民発言禁止法」と言っている人もいた。でも、法律は戦争を起こさない。起こすのは人間だ。

僕はこの法案を恐れているわけじゃなくて、法案を使おうとする人達を恐れているのだ。それにそこに立つ人が変わっても、多分同じなんじゃないかと思ってしまってもいる。だって、結局自分は投票する前も後も何も変わっていないのだ。)


実際の避難経路とか方法とかは全然わからない。基本的に飯田はだいたいどこも危ないと思え、と言われた。でも、古い家が残ってるあたりはまだ大丈夫そうな気がする。フルーツラインを逃げるのは危険かもしれない。旧道を探しておいたほうがいいか。

コーヒーの焙煎は、僕はどこでもできる。さいあく、ザルを加工してまた手網に戻ればいい。店ももともと構えてないし、はじめから0円スタートだったし、小屋も知識は全然ないけど自作した経験のおかげで何とかなるだろうと思える。生き延びられれば、同じことがすぐにできそう。

原稿仕事なら、それこそどこでも書ける。意外に強いかもしれない。

問題は、そこまでの道のりだ。生き残るための知恵。

でも、そんなことよりとにかく書いていたい。とも思う。


映画の原稿を仕上げて、岩倉さんに送る。原稿のために「ブンミおじさんの森」を見直す。やっばい。超スローテンポ。なのに濃密で、瑞々しい。身体が森林浴した時みたいになる。物語以前のカオス。ETHICA FORMS。15日は、絶対に松本に行きたい。『アルゴ』『百円の恋』を借りてくる。

4/17

ぐずぐすの天気。曇り時々雨。

9日から続いた、「a film about coffee」の上映にあわせてのコーヒー試飲が終了。あたごと中村さんの奮闘に乗っけてもらっただけの僕に、終始気を使ってもらってしまい、感謝感謝です。マウンテンドリッパー、調子いい。最終日のグァテマラが一番美味しいポイントで焼き止められた気がス。中村さん、本当にお疲れ様でした。

映画を観て、僕がやってることにまた確信を得られた。映画を観てくれた人の何人かともその話を尋ねられたのだけど、コーヒー農園の国にも相応のペイを払うだけでは、ただこちらの経済を拡大するだけではないのか、コーヒー農園が拡大の一途をたどると、コーヒーの木しかなくなったヤマの灌漑はどうなるのか?

スペシャルティコーヒーの試みって、すごいと思う。それが生活や流通の構造どころか味にまで広がっているのだ。僕はそこにもう一つ、忘れられているとても重要な要素があると思っている。それは映画のなかにも出てくる。農園主のおじさんが、コーヒー生産で一番大事なのは?と聞かれて「消費者、つまり君らのお客さんだよ」といった言葉(おじさんは、「そのおかげで僕らは生活ができるのだから」という意味で言っていたのだけど)。

何度でも言うけど、非電化工房の藤村さんの

、いつも笑って生活していた人たちに、先進国の資本がはいったことで「僕らは金がない。貧乏だ」という不安や不満が蔓延してしまっていたという話を思い出す。その経済観念を消費者である僕らが変えない限り、同じことが繰り返されるだけじゃないか。「どのコーヒーにお金を支払うか。その意志表示をするべきです」とバリスタの人が言っていたが、それでは駄目なのだ。それは、NYのスラムのスペシャルティコーヒーのカフェで体現されている。僕ら自身の経済観念を変革すること。世界への観方を揺り動かすこと。僕の、芸術の定義。

16日の夜、丘の上でストリートライブ。飯田でも、お客さんがつくのだなぁ。

『リアリティのダンス』をもう一回、観る。それからwebの原稿。一つは仕上がりそう。

4/15

天然コケッコー』『007 スペクター』『イングロリアス・バスターズ』『a film about coffee』『フランシス・ハ』『リアリティのダンス』を観た。

天然コケッコー』『AKIRA』『独立国家のつくりかた』と「地鳴き、鳥踊るような」「キース・リチャーズがすごい」を読んで、『ポジティヴシンキングの末裔』『焼肉の文化史』『ヴァン・ゴッホ』を散読中(勝手に作った言葉。読み散らかしてるのだ)。

原稿を書き始めたものの、5枚も書いてしまったのに、まだとっ散らかったまま。書き出しがうまくいけば、幾らでも書けそうなのだけど。とにかく、何回か書いてみることにする。

小説のほうも立ち止まってしまったので、実際に美博に行ってみたら、春草は今日はお休み。せっかくなので、お練り祭りと抽象画の特別展を観る。本屋台の写真、まんまモバイルハウス!しかも、かっこいい。抽象画はピンとこなかった。「silk-7」がいちばんよかった。パッと観るとカラフルなスクウェアの集合体が、ある瞬間に円が描かれてるのに気づく。他の作品みたいに簡単に円が浮かび上がってこない。結構前のものだけど、今ならPCでもっと簡単に複雑に描けてしまうだろうなぁと考えた。

でも、結局文章に起こすきっかけにはならなかった。博物展示のほうにいったら、以前より恐竜がめっちゃ増えていた。ここの歴史の展示の、三匹のちっちゃな狛犬がむちゃくちゃかわいい。欲しい。

とにかく書く。とにかく量。焙煎もそうだ。そして量に、質を忍び込ませるようにやるからこそなんだ、と最近気づいた。ただ漠然と量をこなすだけでも、ただ質を探すだけよりもはるかに意味があるんだぞ。荒川修作の話し方をたまに聞いている。

maison book girlというアイドル?の曲を聞いている。「lost age」という曲が面白くて、一日中車でリピートしてた。

3/28

晴れ。

暖かい陽気。昨日から風が強い。上に被さった雲から山の一角に雨か雪が降ってるのが見える。

何度も同じ電車から降りた。

知った顔も見える。ジェームズやタニシ、それに彼女もいる。

検査のために病院に行ったら、六角形の頂点にそれぞれ部屋が設えられている造りの面白い建物で、病院というよりちょっとお洒落なオフィスみたいな印象の内装をしている。部屋の仕切りは扉がなく、淡いグリーンのカーテン一枚で室内だけでなく廊下まで濃青の絨毯が敷いてあって踵の音がしない。三人部屋の一つは背の低い二段ベッドになっている、1人用のベッドにタダ君がいて、「こないだはありがとね」と言葉を交わしていると予鈴がなり、既に着替えていたタダ君は「ジンちゃんも早く着替えなよ」と言ってさっさと出て行ってしまったので慌てて追いかけた。

左手が谷になっていて段々の田んぼが敷いてある山の、木々がアーケードみたいに覆って木漏れ日が気持ちいい斜面を駆け下りて行く。駅のプラットフォームで待っていると、右手から電車がやってきた。臙脂色のレトロなワンマンの、中は薄いクリーム色で統一されている一両編成のそれに乗ると、先客がいて知った顔も見えるけど、体操着を着ている人は1人もいない。後退していく景色を立ったまま、眺める。一緒に乗ったはずのタダ君はどこにいったのだろう。

臙脂色の電車に乗る。向かい合わせに並んでいるクリーム色の座席に先客が何人か、窓を背にして座っているけれど、知った顔は誰もいない。なぜか、車内というより学校の廊下のようだ。トンネルを抜け、深い山を縫うように電車が進んでいく。なぜかしたの方から俯瞰して見ている駅は急峻な山の斜面を、というかとても巨大な一枚岩の断崖をレールの幅だけ削って線路を置いただけの平らなところの出っ張りに建ててあって、非常に心許ない。眼下にずっと下までつづく谷は、白い霧がたちこめていて底も見えない。

駅を出ると、隣接されている木造校舎の学校の、木々で囲まれただけの土のグラウンドからそのまま伸びている舗装されてない道を半袖短パンで赤白帽の小学生たちが下校しはじめていた。左手の、古い平屋建ての民家の煙突から煙がもくもく吹いている庭だか畦道だかわからない通りを抜ける時に中を覗いたら陶芸家の工房だった。母屋と離れの庇で覆われた路地を抜けると、突然、電柱やアスファルトで舗装された車道の、一見して2×4とわかる民家が建ち並ぶ街にいる。

カフェ狐にはいって、カウンターの窓側の端に座ってコーヒーを頼んだ。祐介君とかおたんが働いている。少し賑わっている店内を見渡してほっと一息ついていると、ふと一つのことに気づいた。

すると不安の感情がぶわっと湧いてきて、現実を否定したい気持ちとごちゃ混ぜでパニックになりそうになってしまう。あの電車には、知り合いが誰も乗ってなかった。今にも泣きそうで、身体が小さく震える。喉が締め付けられて、鼻腔の奥が熱くなった。嘘であってほしい、と思ってかおたんに聞いてみた。

「ねえ。僕って、今何を、仕事してるっけ?」

かおたんは僕が言って欲しい言葉をすぐに理解して、同時に聞きたくないことを言わねばならないことを察して一瞬で顔が曇った。申し訳なさそうに、辛い声でゆっくりと言葉を切って、

「神藤さんは、今はもう森の、…仕事をしてますよ」

と言った。あの電車に彼女は乗って、いなかった。

何度も同じ電車に乗降して最後に行き着いた世界では、彼女はもう死んでしまってあなくなってしまったそのことに容赦なく直面してしまったことに気づいて、もう涙が零れるのも止められなくて、喉をぎゅっと閉めて我慢したけど、でも「あぁ、あぅ…ぅあぅ…‼…」と嗚咽を漏らしながら、僕はカウンターで泣いている。

という夢をみた。

タンザニアを度合いをかえて四回、焙煎。あと、エチオピア。

ライブの練習。フォークロアのアレンジ、Bメロでいい感じになったので忘れないように弾き直して、そこから発展させていく。それからDVDを返しに行って『リアリティのダンス』を探したけど見当たらなくて、『MI:ローグ・ネイション』『サクリファイス』『ブラック・スワン』を借りる。もう一回みてみたら、あった。次借りよう。

明日の準備して、ねる。軽く活元やってみる。