4/24

晴れ、夕方から曇り。


最近、5時間くらいで目が覚める。胸椎の4番5番が詰まっているのがわかる。お菓子食べ過ぎ。

夜、眠るタイミングを逃して眠れなくなる。のたうちまわったあげく、起きてアヲハトのカレンダーの画を2枚描いて、5時半ころまた布団に入る。

でも、寝不足というより食べ過ぎでチカラが余ってるのかも。身体は寝たがってないのに、無理やり寝ようとしてるからいけないのかもしれない。躁?


夢を見た。こないだのは面白かった。夢が一つのストーリーとして流れずに、いろんなものがごちゃ混ぜになって作られてることが夢の中で意識して観察できた。不思議な体験。はじめは、松本六九ストリートのイベントみたいな感じの街中を歩き始める。すると、「歩く」という動作に引っ張られて、いつの間にか場面だけ変化した。純和風に仕上げた京都駅みたい、漆黒の漆塗りの壁に朱のラインが入った天井の高い空間に出店が並ぶ。左に折れると、今度は病院のなかのよう、白い壁にリノリウムの床、吊戸車式の扉。その空間に引っ張られて、一緒にいた女の子が、今度はおじいさんになっている。どんどんスピードが上がるおじいさん。ゆるい上りのスロープを最後は駆け出して自動扉から外へ出ると、そこは都心の美術館の庭みたいな感じの芝生とコンクリートの石柱。昼の強い陽射し。おじいさんは余裕で路地を走っていき、住宅街の一角にある喫茶店に入るとまた違う女の子になっていた。木製のブラインド。アイスコーヒー。隣の壮年の夫婦がブックラックを指して、「面白い展示なら、そこよ」というので(たぶん、さっきの美術館ぽさに影響されたのじゃないか)手にとってパンフを見る。若冲っぽかった気がする。


そこから、すごい面白いことになったはずなのだけど、忘れてしまった。まだ開発中のお台場みたいに白いフェンスに囲まれた空き地に点々と建物や工場が建っている、やたら広いのに全然車通りのない平地を下校してくる学生。同級生の勇がごつくてでかい大人、たぶん先生を連れてやってくる。というか、案内させられた様子。それで先生が片手で僕の両頬を掴んで、ぐいと引き寄せて、なんか言われた。で、反抗して、というかなにか正論を述べて、起きた後でも、「今度こういう状況になってら、そう言お。頭いいな」と思うようなことだってのに、もう覚えてない。だいたい、今後先生に顎を掴まれる機会なんてそうそうないから、使い道はなさそうだ。


起きてから思い出す夢は、こんな風には思い出せず大概、自分でこしらえたストーリーに沿って改変されるから、夢が持つ独自のルールや軸は忘れ去られるので、今回みたいのはかなり面白かった。夢は、記憶を圧縮して定着させる、そのとき全然関係ない記憶も勝手に繋げてしまう、ということを聞いたことがあるけど、まさしくその過程を生で味わった感じ。



4/21

雨。いちにち、雨だった。花咲き乱れる季節もあっというま。庭も緑一色になりつつある。最近、ゴリラみたいに頭がポコんと大きいカラスが一羽、庭にきている。


飯田に地震が来た時のことを考えている。

熊本を中心とした九州大震災に対する政府の言動を見聞きして、僕が考える国家の根本原則とは真逆な対応ばかりなので、不安でしょうがない。いまだに熊本大分地震と言ってるのは、中央から離れているからだろうか。政府高官の地元でないから、という話もあるけど、それも地元への愛着なんかじゃなくて票田だからじゃないか。そう考えたら、飯田なんて東京から近いから同じ地震による被害を被る可能性はあるけど、そうなったら中央は飯田どころではあるまい。

基本的に国は何もしてくれない、と5年前の震災からずっと思っている。(なんで、みんなまだ「いまこそ、次こそちゃんとして」と望みを持てるのかわからない。

選挙に行けば変えられるという考えも、甘えにみえる時がある。自分が変わらなきゃ。そういう意味ではみんな、同じ人間なのだ。秘密保護法や憲法解釈の際に「それで戦争が始まるわけじゃない」と言われた。先日のサイバーセキュリティ基本法の改正案や刑事司法改革関連法の可決への非難にも、同じことを言っている。逆に「戦争法」と名付けて批判する人もいたし、今回は「国民発言禁止法」と言っている人もいた。でも、法律は戦争を起こさない。起こすのは人間だ。

僕はこの法案を恐れているわけじゃなくて、法案を使おうとする人達を恐れているのだ。それにそこに立つ人が変わっても、多分同じなんじゃないかと思ってしまってもいる。だって、結局自分は投票する前も後も何も変わっていないのだ。)


実際の避難経路とか方法とかは全然わからない。基本的に飯田はだいたいどこも危ないと思え、と言われた。でも、古い家が残ってるあたりはまだ大丈夫そうな気がする。フルーツラインを逃げるのは危険かもしれない。旧道を探しておいたほうがいいか。

コーヒーの焙煎は、僕はどこでもできる。さいあく、ザルを加工してまた手網に戻ればいい。店ももともと構えてないし、はじめから0円スタートだったし、小屋も知識は全然ないけど自作した経験のおかげで何とかなるだろうと思える。生き延びられれば、同じことがすぐにできそう。

原稿仕事なら、それこそどこでも書ける。意外に強いかもしれない。

問題は、そこまでの道のりだ。生き残るための知恵。

でも、そんなことよりとにかく書いていたい。とも思う。


映画の原稿を仕上げて、岩倉さんに送る。原稿のために「ブンミおじさんの森」を見直す。やっばい。超スローテンポ。なのに濃密で、瑞々しい。身体が森林浴した時みたいになる。物語以前のカオス。ETHICA FORMS。15日は、絶対に松本に行きたい。『アルゴ』『百円の恋』を借りてくる。

4/17

ぐずぐすの天気。曇り時々雨。

9日から続いた、「a film about coffee」の上映にあわせてのコーヒー試飲が終了。あたごと中村さんの奮闘に乗っけてもらっただけの僕に、終始気を使ってもらってしまい、感謝感謝です。マウンテンドリッパー、調子いい。最終日のグァテマラが一番美味しいポイントで焼き止められた気がス。中村さん、本当にお疲れ様でした。

映画を観て、僕がやってることにまた確信を得られた。映画を観てくれた人の何人かともその話を尋ねられたのだけど、コーヒー農園の国にも相応のペイを払うだけでは、ただこちらの経済を拡大するだけではないのか、コーヒー農園が拡大の一途をたどると、コーヒーの木しかなくなったヤマの灌漑はどうなるのか?

スペシャルティコーヒーの試みって、すごいと思う。それが生活や流通の構造どころか味にまで広がっているのだ。僕はそこにもう一つ、忘れられているとても重要な要素があると思っている。それは映画のなかにも出てくる。農園主のおじさんが、コーヒー生産で一番大事なのは?と聞かれて「消費者、つまり君らのお客さんだよ」といった言葉(おじさんは、「そのおかげで僕らは生活ができるのだから」という意味で言っていたのだけど)。

何度でも言うけど、非電化工房の藤村さんの

、いつも笑って生活していた人たちに、先進国の資本がはいったことで「僕らは金がない。貧乏だ」という不安や不満が蔓延してしまっていたという話を思い出す。その経済観念を消費者である僕らが変えない限り、同じことが繰り返されるだけじゃないか。「どのコーヒーにお金を支払うか。その意志表示をするべきです」とバリスタの人が言っていたが、それでは駄目なのだ。それは、NYのスラムのスペシャルティコーヒーのカフェで体現されている。僕ら自身の経済観念を変革すること。世界への観方を揺り動かすこと。僕の、芸術の定義。

16日の夜、丘の上でストリートライブ。飯田でも、お客さんがつくのだなぁ。

『リアリティのダンス』をもう一回、観る。それからwebの原稿。一つは仕上がりそう。

4/15

天然コケッコー』『007 スペクター』『イングロリアス・バスターズ』『a film about coffee』『フランシス・ハ』『リアリティのダンス』を観た。

天然コケッコー』『AKIRA』『独立国家のつくりかた』と「地鳴き、鳥踊るような」「キース・リチャーズがすごい」を読んで、『ポジティヴシンキングの末裔』『焼肉の文化史』『ヴァン・ゴッホ』を散読中(勝手に作った言葉。読み散らかしてるのだ)。

原稿を書き始めたものの、5枚も書いてしまったのに、まだとっ散らかったまま。書き出しがうまくいけば、幾らでも書けそうなのだけど。とにかく、何回か書いてみることにする。

小説のほうも立ち止まってしまったので、実際に美博に行ってみたら、春草は今日はお休み。せっかくなので、お練り祭りと抽象画の特別展を観る。本屋台の写真、まんまモバイルハウス!しかも、かっこいい。抽象画はピンとこなかった。「silk-7」がいちばんよかった。パッと観るとカラフルなスクウェアの集合体が、ある瞬間に円が描かれてるのに気づく。他の作品みたいに簡単に円が浮かび上がってこない。結構前のものだけど、今ならPCでもっと簡単に複雑に描けてしまうだろうなぁと考えた。

でも、結局文章に起こすきっかけにはならなかった。博物展示のほうにいったら、以前より恐竜がめっちゃ増えていた。ここの歴史の展示の、三匹のちっちゃな狛犬がむちゃくちゃかわいい。欲しい。

とにかく書く。とにかく量。焙煎もそうだ。そして量に、質を忍び込ませるようにやるからこそなんだ、と最近気づいた。ただ漠然と量をこなすだけでも、ただ質を探すだけよりもはるかに意味があるんだぞ。荒川修作の話し方をたまに聞いている。

maison book girlというアイドル?の曲を聞いている。「lost age」という曲が面白くて、一日中車でリピートしてた。

3/28

晴れ。

暖かい陽気。昨日から風が強い。上に被さった雲から山の一角に雨か雪が降ってるのが見える。

何度も同じ電車から降りた。

知った顔も見える。ジェームズやタニシ、それに彼女もいる。

検査のために病院に行ったら、六角形の頂点にそれぞれ部屋が設えられている造りの面白い建物で、病院というよりちょっとお洒落なオフィスみたいな印象の内装をしている。部屋の仕切りは扉がなく、淡いグリーンのカーテン一枚で室内だけでなく廊下まで濃青の絨毯が敷いてあって踵の音がしない。三人部屋の一つは背の低い二段ベッドになっている、1人用のベッドにタダ君がいて、「こないだはありがとね」と言葉を交わしていると予鈴がなり、既に着替えていたタダ君は「ジンちゃんも早く着替えなよ」と言ってさっさと出て行ってしまったので慌てて追いかけた。

左手が谷になっていて段々の田んぼが敷いてある山の、木々がアーケードみたいに覆って木漏れ日が気持ちいい斜面を駆け下りて行く。駅のプラットフォームで待っていると、右手から電車がやってきた。臙脂色のレトロなワンマンの、中は薄いクリーム色で統一されている一両編成のそれに乗ると、先客がいて知った顔も見えるけど、体操着を着ている人は1人もいない。後退していく景色を立ったまま、眺める。一緒に乗ったはずのタダ君はどこにいったのだろう。

臙脂色の電車に乗る。向かい合わせに並んでいるクリーム色の座席に先客が何人か、窓を背にして座っているけれど、知った顔は誰もいない。なぜか、車内というより学校の廊下のようだ。トンネルを抜け、深い山を縫うように電車が進んでいく。なぜかしたの方から俯瞰して見ている駅は急峻な山の斜面を、というかとても巨大な一枚岩の断崖をレールの幅だけ削って線路を置いただけの平らなところの出っ張りに建ててあって、非常に心許ない。眼下にずっと下までつづく谷は、白い霧がたちこめていて底も見えない。

駅を出ると、隣接されている木造校舎の学校の、木々で囲まれただけの土のグラウンドからそのまま伸びている舗装されてない道を半袖短パンで赤白帽の小学生たちが下校しはじめていた。左手の、古い平屋建ての民家の煙突から煙がもくもく吹いている庭だか畦道だかわからない通りを抜ける時に中を覗いたら陶芸家の工房だった。母屋と離れの庇で覆われた路地を抜けると、突然、電柱やアスファルトで舗装された車道の、一見して2×4とわかる民家が建ち並ぶ街にいる。

カフェ狐にはいって、カウンターの窓側の端に座ってコーヒーを頼んだ。祐介君とかおたんが働いている。少し賑わっている店内を見渡してほっと一息ついていると、ふと一つのことに気づいた。

すると不安の感情がぶわっと湧いてきて、現実を否定したい気持ちとごちゃ混ぜでパニックになりそうになってしまう。あの電車には、知り合いが誰も乗ってなかった。今にも泣きそうで、身体が小さく震える。喉が締め付けられて、鼻腔の奥が熱くなった。嘘であってほしい、と思ってかおたんに聞いてみた。

「ねえ。僕って、今何を、仕事してるっけ?」

かおたんは僕が言って欲しい言葉をすぐに理解して、同時に聞きたくないことを言わねばならないことを察して一瞬で顔が曇った。申し訳なさそうに、辛い声でゆっくりと言葉を切って、

「神藤さんは、今はもう森の、…仕事をしてますよ」

と言った。あの電車に彼女は乗って、いなかった。

何度も同じ電車に乗降して最後に行き着いた世界では、彼女はもう死んでしまってあなくなってしまったそのことに容赦なく直面してしまったことに気づいて、もう涙が零れるのも止められなくて、喉をぎゅっと閉めて我慢したけど、でも「あぁ、あぅ…ぅあぅ…‼…」と嗚咽を漏らしながら、僕はカウンターで泣いている。

という夢をみた。

タンザニアを度合いをかえて四回、焙煎。あと、エチオピア。

ライブの練習。フォークロアのアレンジ、Bメロでいい感じになったので忘れないように弾き直して、そこから発展させていく。それからDVDを返しに行って『リアリティのダンス』を探したけど見当たらなくて、『MI:ローグ・ネイション』『サクリファイス』『ブラック・スワン』を借りる。もう一回みてみたら、あった。次借りよう。

明日の準備して、ねる。軽く活元やってみる。

3/24

晴れ。

桜の木が遠くからみると上気したようにほんのり赤く染まっている。ここ数日、昼間は向こうの山は白く霞がかっている。花粉か砂か?夜になるとまだ少し冷える。明日からお練り。

一ヶ月が、あっという間に過ぎていた。何度か書き留めておこうというものがあったのに、何故かしなかった。その間に『インターステラー』(確かにすごく良かった!アクションが見づらい。一番気になるところは5次元空間に作り出された四次元立方体に主人公が入り込んだ場面。あの場面で、普通に肉体を配置してあるのは熟考の末だったのだろうか。それとも映画として成り立たせるための浅慮か配慮か気になるところ。音楽が素敵。)、『カジノ・ロワイヤル』『わたしを離さないで』『人生万歳!』『レザボア・

ドッグス』『ニューシネマパラダイス』『アンダーグラウンド』『ストーカー(タルコフスキー)』『TEKKEN』『海街ダイアリー』を観た。

『パノララ』『江戸っこの倅』『残酷日記』『気分はもう戦争』『森は考える』『ズームイン!服』を読んだ。

春が近づいて、ポツポツと出店が増えてきたけれど先は全然わからない。どこかに店をだすか、思案。ギャラリーでの展示を本格的に考える。確定申告も終わり、明るく「なんとか生きてますよー」とは言ったものの、必要なお金の捻出に頭を悩ましたり。でも、こうなると自分にとって大事なものがなんなのか、見えてくるということを発見。生活のためにどれだけお金が必要か、僕からみたら最低限以上は稼いで見える人が不安に思うのは、実はそれが見えてないからなんだ、ということがわかってきた。

色んな人と話したり、政治が決定していることをみたり、農家さんの話を聞いたりコーヒーのことを考えるにつけ、根本的な問題は同じだと思う。そのなかで自分がやりたいことを表現する言葉を、こないだ松浦くんたちと話していてるとき、自分自身の口からこぼれてきた。

2/26

曇り。昼前、雪が舞う。

スペースコロニーの最下層は直径20mくらいの円形に縁取られたダストシュートの吐き出し口になっていて、僕は宇宙服を着て縁の手摺の外に立っている。もうどうしようもなくなって自殺を図るところ。本当に底のない暗闇が足元に広がっていて、ぽつぽつと散らばって光っている星に目をやると、涙がこぼれるくらいに眩しい。ジャンプするとコロニーの底(今は閉まっている)に頭をぶつけるだけだから、左足を一歩前へやって重心をかけるようにしてコロニーから離れ、真っ直ぐ足から落下していく。

途端に、酸素がなくなって呼吸ができなくなるだろう瞬間が、それがどれだけ苦しいことなのかわからない、想像もできないが必死に息を吸おうとしてのたうっている自分の姿が浮かんできて今更ものすごい恐怖に囚われる。同時に取り残された人たちが思い出された。もう万策尽きたと諦めてうなだれているいく人かの人々。そんな彼らを見捨てて、一人宇宙に逃げ出した。どっちにしても苦しいのだけど、逃げた。と思った。

これもまた苦しみからの逃避だ、と思いながら背中の噴射孔から断続的にバーナーを噴射して、コロニーの方へと上昇していく(それとも降下してるのか、重力を足元に感じてるのは僕の身体の想定外だからだろう)。街に戻って、そこからどうなったか曖昧だけど、僕は2人の男とともに逃げている。いつのまにか駅のなかにいる。全てが大理石でできただだっ広い空間で、天井がかなり高くアーチ状の柱が何十本も規則的に並んでいる。巨大なステンドグラスが赤や青の光を床に落としている他は、セピア色の影に覆われている。柱数本を挟んで向こうには大理石でできた床の上に、じかにレールが敷かれている。僕らはあたりを見回して、また走り出す。レールが軋む音が反響して和音のようになって、友人の叫ぶ声がほとんど聞こえないくらい構内に響きわたり、トロッコのような、天蓋のない鉄製の列車が追いかけてくる。そのうちの一つに黒く長いコートで身を包んだ背の高い高い男が立っている。僕らの脳みそを奪った男だ。僕らはもう、頭の中は空っぽだ。顔が人形のように、というか人形で生気が感じられないその男はおでこから上がすっぽりなくなっていて、自分の脳のうえに僕ら三人の脳みそを重ねて繋いでいる。そのうえに黒い三角のとんがり帽子を被っている。男は笑っている。脳みそが4つもあるのだ、知能では僕らが及ぶはずもない。ただただどこへ向かうともわからず走るしかない。恐怖におののきながら、頻繁に男のほうを振り返りながら走って逃げるだけだ。

だが、男の剥き出しの脳みそは、剥き出しになっているせいで空気中の菌かなにかに感染したのか、細かい傷がついたのか、脳はあっという間に崩れ、それに気づく間もなく男は笑ったまま倒れた。

あるいは、体育館のようなところで夜だろう、暗いなか階段状にあつらえられた客席に囲まれて舞台がスポットライトに照られている。そこにダウンタウンの2人や他の芸能人みたいな人が数人いて、浜ちゃんはかったるそうに腕時計に目をやり、「いつ終わるねん」と表情で訴えている。なんのパーティーなのかわからないが、観客はそれほど多くなく空席が目立つ。あっというまに片付けの時間になっていて、僕は「けっきょく、これ何の集まりだった?なんていうか、あんまり、盛り上がらなかったけど」と誰にともなく言うと、すれ違いざまに男性が「今日は、風船の日だから」と言った。みると確かに無数の白い風船で体育館は飾り立てられてスポットライトの青い照明を反射していた。

早く家に帰らなきゃ。暗い夜道を走った。芝のグラウンドを囲んだ遊歩道を走っていると、小さな男の子が飛びついてきたのでそのまま負ぶって、ひと言ふた言交わして走るうち、芝の上で真っ暗闇のなかバーベキューをする男女がいたので、子供をその2人に返した。そのまま街中を走るうち、いつのまにかシロヒョウの子どもが一緒に走っている。子シロヒョウは民家の犬や猫みんなにいちいちちょっかいを出して、怯えたり威嚇する猫らの鳴き声が夜に響いた。ふと気づくとコウジ(体重100kgオーバーの巨漢だ)が四つん這いで子シロヒョウを追い回すように走っている。「やめろやめろ!危ないから!」ふざけてるつもりだろうけれど、シロヒョウはそんなでもなく半ば本気で逃げているように見える。「やめろって」

左に大きく曲がる見通しの悪いカーブに差し掛かったところで子シロヒョウはコウジから逃れようと右の反対車線のほうへと走り出し、

「危ない!」

と言うが早いかやってきた自動車の尻にぶつかり、腹から真っ二つになって向こうの歩道に放り出された。頭のほうが、よく公園に置かれているような網あみの護美バコに飛んでいって、スポンと入る瞬間に護美バコに捨てられていた黒い布きれから手が伸びて、子シロヒョウの上半身をキャッチした。林っさんだった。子シロヒョウは「ニャー」と鳴いた。

ボロアパートに戻ると、剛と誰かがいて、僕はポストから封筒を取り出す。そこには「残念!あなたに決まりました」と赤文字で書かれており、今回の水道代の請求書が続いていた。385,000円。水道代は抽選で選ばれた人間が払わなければならないのだ。「こんなん、払えるわけない!おかしいよ」と頭を抱えそうになったら、剛が残りの封筒の束を開け、中の紙に印刷された細かい文字を指差しながら、

「ここにこの記載がないってことは、これはちゃんとして書類じゃない。つまり、詐欺だよ。これ払ったらダメだよ」

と教えてくれた。が、既に玄関の扉の外には体格のいい男が2人忍び寄ってきていて、この金を取りに来ていた。詐欺の仲間だ。僕は扉を蹴破って、アパートの外の洗濯機や自動車のタイヤが積んであるコンクリの廊下みたいな狭いところで男たちを殴り、蹴飛ばし、坊主の巨漢の喉仏に親指を突っ込むかたちで喉輪を決めて、持ち上げる。

最近、こんな夢ばかり見ている。それとまだ夜が開ける前に目が覚めたときに見ていた夢は、今はもう覚えてないけれど起きた瞬間には「あ、これは正夢だ」と思う夢だった。全然劇的でもなければ将来の選択を先取るようなものでもなく、ただの日常の正夢の感触しか覚えてないけれど。映画の見過ぎだろうか。

『007 スカイフォール』『007 慰めの報酬』『インヒアレント・ヴァイス』『FRANK』を観る。ホアキン・フェニックスがすごい良かった。複雑に交錯するストーリーを追ったところで、特に何もないような映画。それが凄い。『FRANK』はコメディのジャンルに置かれてたけど、全然コメディじゃない。特にいい映画とも思わないし、フランクの作曲もさほどすごいとは思えないのに、フランクが頭に染み付いてまたすぐ観たくなる。変にはまっちゃった。