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晴れ。全然、雪が降らない。暖かい。

先週の月曜に風邪をひいたらしく、なんやかんやで休めずに引きずっている感じがする。寝て起きても目が痛む。うまく風邪が抜けるようになるように、足湯に浸かる。

午前中は来週一週間の喫茶に備えて焙煎。頼まれたものも幾つか重なって、まとめて焼いていく。日中が暖かいのでやりやすくて大助かりだ。明日明後日でガトーショコラと柿巻を拵える予定。うまくいきますように。

午後、ベラの原稿を仕上げる。今月はなかなか進まなくて難儀したけど、今までとちょっと違う感じになった。でもうまく繋がらなかった。字数が少ないと、どうしても小説が立ち上がる前に終わってしまう感覚があって、どこか落としどころを作ってしまいそうになっちゃう。たまに「本当にあることを書いてるの?」「設定は、自分の家のこと?」などと聞かれて、うーんイメージとして使ったりはしているけど、それがでも実際あることだけ書いても小説を書くつもりで書いているとやっぱり違うものになる気がするようになって、やっぱり創作です。というのが近いと思う。

熊谷くんから「1つだけ当たりの3つの扉の1つを選んで、残った2つの扉の1つ、必ず外れの扉を消去したとき、最初に選んだ扉より残った1つに変えた方が当たりになる確率が上がる」問題を聞いて、なんでだろうと忘れながら考えていて、幾日かしてお客さんと話していると

「1/3が1/2になるんだから上がるんじゃない?考えすぎだよー」と言われ、うーんでも腑に落ちない。で、カップを拭いてた時にあ!そういうことか、とわかった。納得しなくてよかったー。すっきりする。が、がそれを話すと松浦くんが「それね、僕テレビで見たから知ってるんだ」と言われ、なぜかすごいがっかりする。あの「2/3÷1/4ってどういうこと?」問題を自力で解決した時に「そんなのひっくり返せば計算できるんだからいいんだよ」とお姉ちゃんと全く同じことを言われた時と同じ感覚だ。「翌日と羽音って全く同じ字を書いてるんですよ!」と言ったら、「それ、こないだテレビでやってたよ」と言われた時の落胆。何年も前に話したことを結構ずっと考えていて、だから幾つかのことが並行して前面に出たり後ろに引いたりしながらずっと考えていて、それが先に進むとその人とまた話したくなって話すのだけど、当の本人が考えていたはずのことをもう止めていたりして驚くことがよくある。

閃きは、何もないところに落ちてくるわけではない。直感は、はじめから100%であるなんてものではなく経験と想像によって養われて鋭くなる。経験だけでもなく、それを何度も反芻し形を崩し、また構築し、その繰り返しをしていくうちに突然やってくる。だから、というわけではなく僕は考えるのが好きというか、ずっと忘れたりしながらも考えているから好きなのだろう。こういうこたがあるうちわかったのだが、考えるとは答えを出すことではない。考えるとは、一度答えが出ても何度も問いを立て直し、それを反芻し、思いも掛けないところまで自分を連れていってくれる、その運動の連続のことだ。考えすぎ、ていうのはだからそれは間違った問いを立てている、ということの言い換えだ。

バーン・アフター・リーディング』。『ソーシャルネットワーク』を観たあと、『はじまりのうた』を観ると驚くほど今の自分の同じところに響いてきた。どっちも、すごくいい。「山田孝之東京都北区赤羽」を観ている。山下敦弘監督って、こんな顔だったのか。勝手にもっとおじさんだと思っていた。「天然コケッコー」を読み直す。この漫画も、やっぱりすごくいい。映画の夏帆もかわいかった。