12月22日

晴れ。冬至とは思えない暖かさ。「最近、日が長くなったねぇ」と、いっても冬至にそんな話を交わすおばさん達がいた話をきいたが、わからんでもないと思えるほど春のような陽気。

喫茶日。ガトーショコラは、乳化が完璧ではなかったのか少し舌触りに不満。来週はさらに完璧にして出すぞ、と持っていく。午後一に髙橋さんか来店。高野山や清内路、生田の再生を任されるようになった経緯など、はじめてゆっくりと話ができた。36年?続けた柳田国男を卒業したんです。民俗学とは現在から過去に遡る学問でアカデミックのなかに土着の民俗学を加味していく、そういう姿勢(柳田国男の姿勢ではなく、いまの地元の話で)とは私は相入れないところがあるのだ。正確ではないがそう話す髙橋さん、それを聞いて言語学から民俗学をアカデミックに構築した柳田国男と、深い森に自ら分け入って入り込んでいくように生きた熊楠、と言っていた森のバロックを思い出して、「いまの話を聞くと高橋さんは柳田国男というより、熊楠ですね。」と言うと「それは違います。僕は結局、現場に入りきれない。南方熊楠を憧れながら、最後までここを離れられない。そういうことだね。」今月のユリイカの特集で坂口恭平藤村龍至が対談のなかで、「どうして建築家が机に戻ってくるのか、なぜずっと現場にいないのかわかってきた気がする」「藤村君は徹底して書斎派だから。俺は現場にいながら、でももとはやっぱり書斎派で」「俺はいま、家庭を考える。藤村くんは社会を」という話を思い出して、僕も書斎派ですね。と髙橋さんに打ち明けて、笑った。高橋さんが図書館なら、僕はまだまだ本棚だけれど。

その書斎に籠りたい人間が外に出ようとしている。それも丘の上で。面白い動きを起こしている人たちはみな、阿智や中川の山のなかに入り込んでいる。僕はその空気を飯田の街中に染み込ませたいのだ。だから、店をやるなら丘の上でやろうと決めていた。市内の不動産屋さんを全部まわって、わかったことが幾つかある。まだ市内でも空き家の問題が言われはじめるちょっと前だった、完全なシャッター街で、にも関わらず家賃は高いままの物件に疑問が消えないまま不動産屋に入る。そこで僕は、「空き家がいま全国でもヤバイことになってまよね。飯田だって例外じゃないじゃないですか。この空気をなんとかしよう、誰か、家賃なんかいいから、という気概のある人いませんか?」というようなことを言うと、ある不動産屋さんは「どこが問題なんですか?」と言ったのだ。

僕はそこで気づいたのだけど、不動産屋は各個人と顔を合わせて話をしているのであり、一括りに空き家と言ってもそこには人それぞれの想いや思惑があった。僕はその個人個人をみていなかった。それから、空き家を社会問題としてしか観ない目を少しずらしていって、さらに街を歩いて空き家があれば話を聞く、ということを少しずつ繰り返すようになった。すると、飯田特有の特徴や問題がありありと見えてきた。10万都市でありながら、人口的な中心がないこと、陸の孤島と呼ばれるような僻地ながら都市部との交易が盛んだったことが招いた諸々の感情、昭和23年の大火、店舗物件の情報の出回り方などなど。たくさん発見があった、そして人に会うことがまた人を呼び、そのなかには家賃はいいから、と言ってくれる人も実際にいるのだ。店を開きたい、と思ったらまず街を歩くといい。不動産屋に行くことは全然構わないし、今も僕だって時折情報を貰ったりしている。でも、それだけではないと知っておくこと。それ以上に、そんな大事なことを人任せにしないでまず自ら動くことのほうが得るものは大きいし、安くていい物件に出会う確率は間違いなく高いことは言える(仲介業者の管理料は家賃に対する%で決まるのだから、僕ならなるべく家賃は高いままにしておきたいと思うだろう)。ちなみに個人同士で賃貸をかわして、具体的な法的な書面や契約の時点でお願いすることはできますか?と聞いたら、不動産屋は請け負ってくれるそうです。 一昨日から久しぶりにアニメを観ている。「響け!ユーフォニアム」、めっちゃ面白い!ストロークとか指使いとか、音楽の演奏にこれだけ忠実に描写しているドラマやアニメを、僕は初めてみた。こーさかさんとの百合要素が、キュンとしてたまんない。