12月15日

雨のち曇り。少し肌寒いが、晩秋の暖かさのよう。秋と冬のグラデーションがまだ濃いと思うほど。

喫茶日。東京に戻る直前に、高山寺蔵の熊楠書簡を編纂した神田さんが西さんという方と店に寄ってくれた。本当の安心の話や、4000円のホテル朝食での面白い話を聞く。熱くなって話しまくってしまった。が、肝心の熊楠の話はすっかり忘れてしまった。 まぁ静かな一日。空いた時間にベラの原稿を送り、自分が取るべき在り方をぼんやり考える。何か新しい動きがやってきそうなのだけど、自分がなぜ今こういうことをやっているのかをしっかりと表せなければ流されてしまうだろうから。 家に大量にあった書道練習用の藁半紙が愛用のボールペンとの相性もよく、そこに自分が作りたい小屋の外観やソーラーパネルや中の作りを描いて、焙煎とそのコーヒーを売るために最低限必要な道具や許可、書類を書きだす。それを楽しんでやるために絵も描く。これが僕の事業計画書になる。しかも、普通の事業計画書なんて見ても全然楽しくもなんともないのだが、この形ならいつか本にもできるかもと思ったからだ。つまり、これ自体を自分の作品と捉える。作品となれば、意気込みも変わる。実現しなくても、ここで完結させることも可能だしうまくすればこれで稼ぐことだってできるかも? (必要経費を書き出してみると合計の金額が17万円。なんと、バーを辞めて初めて就職した会社の月給と全く同じ!一ヶ月の労働で店を持てるのだ。うまくすれば、もっと少なくていい。昔は僕も開店を夢見て「カフェをやりたい人のために」などの本を手に取ってみたりして、「自己資金が最低○○万は必要です。融資で○○○万」そして何年も前から資金準備をする。どの本を見ても桁が一つ違った。なんか「簡単じゃないから、諦めなさい」と言われているみたいだった。それにその人たちと同じことをしても、似たり寄ったりの店ができるだけなのではないか?という疑問もあった。) 同時に、計画書には自分の思考を明文化するためにチャートにして書き込んでいく。労働とはなにか?生きるとは?これは、どのように生きるのかを問うことでもある。それらを繋げていく。思想がなければ駄目だ、という直観はあったが自分でもうまく掴めていないので、これは今も増殖的に膨らんだり変化している。 自分で何かつくるとき、それを全て作品としてつくる。この決め事はとても重要で、また有意義な発見だったと思う。 バーを辞めて就職するまでの3ヶ月、バーテンダー最後の1ヶ月でたぶん普通の人の3ヶ月分くらいの給料を稼いだので(年末年始が重なったことも大きかった。確か60万を超えていた。一瞬、辞めるのやめようかなと思った。年収にしたら720万だもの!)、僕は街の全ての不動産屋さんに回るのと並行して、街中をとにかく歩いてみた。そして、気になる空き家があるとチェックして近所の人に聞いたり、ということを始めた。 前後するが店としてはじめて珈琲を提供したのはまだ焙煎屋を仕事にする前のことで、そのときはイベントのドリンク担当(お酒も出すということだったから)で参加して、代わりにただでライブが聴ける。そこでコーヒーを出してもいいよ、と言ってくれたのが最初だった。テントもテーブルもこちらで用意するといってくれたところを、そのときせっかく声を掛けてくれたのだから絶対に手を抜かないようにしようと決め、カウンターを作った。焙煎小屋はもう出来上がっていて、端材が残っていたのでそれらを使いビールサーバーも置けるように工夫し、当日それをばらして持っていき、会場で組み立てコーヒーを淹れた。このときも、カウンターを作品として作ったのだ。順番でいえば、事業計画書よりこのカウンターのほうが先である。他の人が会議室用のテーブルなどを使うなか、「同じものを造ってほしい」といわれるほど好評を得た。今も出店の際にはこのカウンターを使っている。 自分のやりたいことは、金になろうがなるまいがやったほうがいいのだろう。利益をお金でしか見れなければ、このとき僕がやったことはまるで意味がないが、やりたいことを形にできるということ自体が人生の利益になることがわかった。さらに、この時の出店がいまのお客さんにも繋がってきたのだった。