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8月5日(、からあと4日たち)

晴れ。昨日の夕立にみんな少し色めき立って、涼しさにほっと一安心した。その流れか、少し暑さが和らいだ一日。


久しぶり!に平安堂に行って、「文芸」を片足で爪先立ちしながら読む。なぜか?読むとわかる(笑)頭がシュンシュン回転がたまらなくなって、今まで辿り着かなかったところまで思考が飛んでいく心地よさを味わって、久しぶりに小説の続きを書く。ようするに、現実逃避(笑)

ほんの小一時間だけれど原稿に向かってせきを立ち、本を手にとってしばらくして、首周りが緩くなったことを感じて、じゃあいまの現実逃避で逃避してきた現実は、身体にとってなんなんだ?と都合よく考えて、満足感をえてほっこりする。帰ると寛大がいて、さらにほっこりする。ほんの数ヶ月で文章を話すようになって、歩くときの重心が安定している!姪と甥も帰省中でまいにち、あいつらと一緒に過ごす時間があるが、彼らがあま何をどう見えて、聞いているのか。いまそこにいるのが僕だよ、と言われても比定する根拠が僕には、ない。この頃になりたい、と思う。ようは、現実逃避したいのです(笑


昨日の喫茶日に来てくれた麻美ちゃんや原さんの姿をみて、心から感心していた。しっかりと経営を考えて、はじめてのことに億劫にならずにむかっている。と同時にその姿をみていて、そのバイタリティを、本当に自分がやりたいことに向けられる社会構造であればいいのに、と思う。

「現実を見ろ!」と人が言う。そのとき、どこを見る?いま、目の前に何が見える?日本の屋根とも呼ばれる空が狭く見えるほど高く延々と連なる両アルプス、そのアルプスを二つ重ねてもまだすっぽりおさまるほと膨らんだ入道雲、ひぐらし、まだ毛並みがととのってない若いツバメ、春からずっと土管の井戸に住み着いてるトノサマガエル、胡瓜、ナス、とまと、自動車、サンダル、遠くから聞こえてくる高速を走るトラックの音、急に文章を喋れるろうになってた甥っこ。

コーヒーを焙煎する、それを淹れて、飲む。うまく焙じれると人に飲んでみてもらいたくなる。うまくいかないともう一回、試したくなる。次はあしてこおして、美味しいコーヒーって、美味しいって何?とか考える。そんなことを、今はじめたようにコーヒーでお金を稼ぐ以前からずっとやってきた。

小説だって、それで生活するとかしないとかじゃないところで、ただただ読んで書いて、でもそれが自分の生きる大きなナニモノかになってきた。

「現実を見ろ」

そう言われたとき、いったい、どこを見ている?