6月13日

晴れ。


がんばって9時に起きて、松川町民体育館にぎりぎり間に合って木村秋則さんの講演を聞く。


テントウムシが一日何匹のアブラムシを食べるのか、せいぜい6匹を食べるとあとはアブラムシがテントウムシの背中を行進していく。アブラムシを捕食するテントウムシから守るアリがアブラムシの蜜をもらうという共生のモデルは何だったのだろう。アブラムシを食べるのはアブの幼虫なのだそう。

葉の葉脈とその木の根はおなじ様相で広がっているという話。キュウリの蔓に指をさしだすと、巻きつく人を選ぶ話。5、6歳の子どもにはみんな巻きつくそうだ。ジャガイモの種芋は切り口を上にすると山をつくらなくて、かつ大きく伸びる。林檎の葉は病気の部分を自ら枯らせて虫食いのような穴になるけれど、これは虫食いじゃなく、周りの葉が大きく育つ。

アイヌの出稼ぎ仲間に教わった、木は生きているのだ、ということに忠実にいることの、その芯の強さに感動しました。その強さは、試行錯誤のときたとえば科学の客観性や定説よりも目の前の一本の木にただ依って観る、いっけん当たり前のようでかなり難しい姿勢にあらわれていた。そして、目の前の林檎の木に忠実になるってことは、世間や僕らの常識からの風当たりも強くなる。なぜなら、常識というものはおよそ自分の都合にあわせて世界を解釈したものだからだ。その自分を見つけて、枠を外すことのどんなに決心のいることか。難しいようでものすごく簡単にも思えるけど、やっぱり難しい?僕には、だが。一本の林檎の木に依る、てことは自分の言葉を見つけることと同義である。


東京のいつの年かはわからないけれど小松菜だかの葉を二枚食べた赤ん坊が呼吸器に異常がでたその葉にはEUの基準値の約6倍の硝酸態窒素が検出された話。沖縄の水と混同してるかもしれない。それで、ふと、食物アレルギーの話で非電化工房の藤村さんが、昔から食べていた穀物のアレルギーが劇的に増えた違和に対して述べていたことを思い出し、もしかしたら小麦アレルギーは本当に小麦に対するアレルギーなんだろうか。食物に対するアレルギーはどうしてこんなに急速に、多く起こるようになったのだろう。


夜はオムニバスに出演。終わって皆で飲む。僕はすごい下手っぴだけど、それなのにこの皆のなかに入れて良かったなぁ、と他のバンドを見てていつも思う。