1月24日

快晴。風が強く、冷たい。


原さんに車検とぶつけられた後ろの修理のお願いに行く。一緒にいった鈑金屋が休みで、天竜川に合流する直前の松川の河川敷の静かな風景のなかで日向ぼっこがてら、缶コーヒーを飲んで少し駄弁る。サブロク災害から、松川で流されてる男の子をお父さんが救出した話など。原さんと話していると、つくづく自分は実益のないことばかりしていることを痛感させられる。そして、だったら徹底的にそこから離れて考えるんだ!と発奮する。僕の、まだだだ甘いがそういうところを原さんもかってくれているのだから、と思い込むことにする。 


家に戻って車を停めると、おかあさんとおにいさんが丁度出掛けるところで、中川のお祖母さんが危篤だという。すぐに僕らも準備をして、駒ヶ根の病院まで向かう。 快晴の空のした、山沿いのドライブに格好の道を、雪をかぶった南アルプスと並走しているとき、優子さんが 「意識もしないでお化粧してて。あー、生きようとしてるんだ。て思ったよ。」と言った。化粧するという行為が、生きる意志の現れなんだ、ということを言っていたのを、僕は勝手に人は、死に向かうのは人の思考であって、身体はいつも生きるほうにしか向かわない、と解釈した。


病院の駐車場は、雪がまだ結構な量が残っていた。それにしても、どうしてこんなに中がいつも暗いのだろう、病院の建物自体になにか問題があるようにいつも感じてしまう。マスクして下さい、と言うので10円です。自前のを持ってきてくれてるのでそれをして二階にあがって病室にはいる。奥の窓から日が入って、室内がぼんやりとほの明るい中で、お祖母さんは入口のほうに、左に首を傾けてベットに横たわって、ピクリとも動いてなかった。睫毛はもう目ヤニで張り付いていて、酸素吸入のためかなにかの透明なマスクをした力なく開いた唇のあいだから、わずに残った下の前歯の四本がみえていて少し血がついていた。機器の助けを借りてなのだろう、10秒弱の間隔で口を開けたまま、下顎だけがしゃくれるように動き、呼吸する。おじさん二人はじっと心電図をみて、確かに落ちてるな、と話した。無言で会話する優子さんは、たちまち目を赤くした。


下顎が動く。間。下顎が動く。間。動く。間。……動く。間。

確かに呼吸の間隔がわずかだけれど長くなり、その途端、思いがけず「動け!」と口にはせずに叫んでいた。そしてほっと肩をなでおろした、そのことに驚いた。中川のお祖母さんのことを、僕はほとんど何も知らないのだ。たった二度、家の介護ベッドに寝ている姿を見ているだけの間柄の自分が、お祖母さんの呼吸に一喜一憂している。

下顎がしゃくれ、停まる。しゃくれて、停まる。それからしゃくれる、そのタイミングで一度、しゃくれずに口を閉じて喉仏が下に動いて、唾を飲み込む仕草をした。ほとんど泣きそうになった。お祖母さんは、確かに生きてる。


「おばあちゃん、またね」と顔を近づけて声をかけ、10分くらいで面会を済ませて家に戻った。それから30分くらいして、お祖母さんは亡くなったらしい。


不謹慎なのは承知で、最後まであそこにいたかったと思っていると、助手席で

「あとは家族水入らずでね。」

と言って、僕はまた恥ずかしくなった。