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選挙が終わってちょっと経ったら、周りで政治参加を呼びかけたり意識を向けるコメントのUPが一気に消えた。消費社会と言われて長くなったけど、こういう気持ちすらも消費社会なのか、とあういうことを言う人の言葉が一見いいことを言ってるように見えるだけに余計になんだか絶望的な気持ちになってくる。その人に自分が含まれていることに、輪をかけて。でも、これだけ浸透してしまっていて、そこから完全に開放されることがどれだけ困難なことか!

だから、そういう人をみると本当に嬉しく、希望がわく。

ふと思ったのだけど、政治家に信念は必要ないんじゃないか。政治家はむしろ自分の信念を国が良くなると思う方向に向かうためなら平気で捨てられる人間のほうがいいのではないか。自分の信念より他人にそれを任せられる人間のほうが。とすると、いまの選挙制度は真逆のことをしていることになる。何言ってるか、自分でもよくわからないけど。


今回、あなたの一票が日本を変える。と沢山の人が言って、僕は最後まで投票に行けず、行けなかったことをいまだ逡巡しつつも、一つ結論は出た。結局、日本は変わらなかった。と言えるだろうけど、「変わる」と言った人はあの日から何か変わったのだろうか。

消費税が8%に上がる時、「皆で不買運動したらさすがに考えなきゃならないんじゃないか?」と言って一人やっきになったら、そんなことしても無駄だよ、と言われて一人で我慢してお金を使わなかったが、もし本当に皆でそれをしたら?と今も思う。けっきょく、僕らは国政から馬鹿にされてるんじゃないかな。何を言っても、彼らは自分の今の生活が維持されればその対価がいかに大きかろうが甘んじてそれを受ける奴らだ、と。それが転嫁すると、今の生活のためにそれなりの負担を受けるのは国民として当然だ、と言い出すことになる。

書き出したら飽きた。


僕は、戦争は絶対にいやだ。安直だ、とか、なら対案出せ、とか言われてもそんなことはないし、出す必要はない。それはもう確信した。証明できる。僕らは戦争がいやなら、とにかくいつでも反対!と叫ぶだけでいい。むしろ、どのような状況でもそう叫びつづけることしかない。だから僕は言う。どんな平和なときも、争いの真っ只中でも、いやだ!と叫ぶのだ。それがどれだけの覚悟のいることか。今からもう言わなきゃ言えなくなってしまう。