8月3日

久々に作業!と思ったら、朝から雨が降りそうでパラパラと舞っても本降りにはならず、しかしいつ降ってもおかしくないぞという思わせぶりな天気で、振り回されるこっちはしょーがねーなーもう、とにやけたりはしない。結局4時頃に降るまでブルーシートをはいで屋根の作業を進められたのに、そうしていたら昼から降ったかもしれない。7時を過ぎ、遅すぎる夕立。


原さんになんで芝屋根にしようと思ったの?と問われて、効果でいえば直接には断熱や省エネ、緑化がもたらす効果もある、けれど本当のところはやりたくなっちゃった、が本当だと思います。でも小屋の出来上がりが完成ではなくて、芝から他の草がぼーぼー生えていったらいいな、と想像している。

今思えば、「リゾーム」を顕在化させたいという欲望なのかもしれません、そういうことならそこからアパート時代の庭のようにネコジャラシやクローバーが全体を覆ってしまわないように人工的に調整しつつ単独で育つ草花が徐々にその勢力を増していって数年後にはそれらの変化がうまいバランスで安定するように、リゾームのさらに先に向かいたいという欲望の現れなのかも、と思い至る。

更地に根茎植物はそればかりで覆われるほど広がるけど、他の植物が伸びているとその隙間を埋めるようにまだらに広がる。そしてどちらも消えてしまわない。虫が沢山集まってくる。

網戸のない我が家は開けておくと毎晩、いろんな種類のカナブンがびゅー、バチっと飛び込んでくる。子ども科学電話相談室の相談で、夜、虫が灯に集まるのは光を羅針盤のように方角の標として飛ぶうち、灯がちかいからグルグル周るうち灯に吸い寄せられてしまうんだよ。アナウンサーが、では光が好きで寄ってくるのでは…違うよ、全然好きなんかじゃないよ。明るいが好きなら昼間飛ぶよ。と先生が言うので、なるほどなぁと感心した。夜動く虫は基本的に地味だ。しかし、虫の彩色あふれる模様や動物の形態の外界への適応変化がおこる仕組みが本当に気になる。みんな目をもっていて、見るものは目だとなっているけれど、目だけで見ているだけじゃないとしか思えない。虫を花もだけど、虫を見ているとその色を捉えたい。