2.15.2018

今日見た映画

湯浅政明夜明け告げるルーのうた


高橋さん、神田さんとアヲハトでご飯食べながら駄弁る。武道の話。ブッダの話。

道主が神田さんに手首を握らせてみせるだけの話。手を開くだけだが腕が内旋する。そして、何も言わず去っていった。

自分で試してみると、小指の使い方で変わるようだけど、どうか?



2.14.18

今日見た映画

湯浅政明『夜明け告げるルーの歌』


神田さん、来飯。

焙じ茶ガナッシュ、今回はうまく味が出た。

〜2.12.2018

今日(最近)観た映画
「ありがとう、トニ・エルドマン
」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」「わたしたちの家」「デヴィッド・リンチ アートライフ」「宝物の抱きかた」「ハドソン川の奇跡」「オーバーフェンス」「岸辺の旅」「サウダーヂ」「メッセージ」

最近読んだ本
「グァバの香り」「予告された殺人の記録・十二の遍歴の物語」「族長の秋」「植物は知性を持っている」「けものになること」「アメリカ」「惑わない星1・2」「ゲルハルト・リヒター(ワコウワークス)」「千の扉」「壁抜けの谷」「珈琲の建設」「ハンターハンター」「ペドロ・パラモ」


12/15

朝、夜中に何度か起こされたりしてウトウトしているうちに家から人がいなくなり、なのに寝室の障子を音もなく開けて布団の脇を通る者がいる。目を開けたら、誰もいなかった。そんな夢だかなんだかわからないものから、僕しか生きていないことを知らない女の子といたり、怖い夢ばかりどんどん見た。

焙煎。長時間焙煎でブラジル。モンテアレグレが、ほんとにミルクチョコの匂いがして驚いたので試し中。赤石商店さんとリッピングストアさんのコーヒーに合わせて完成させたい。明日、試飲して決めることに。

フェイスブックで出店(この言葉、使いたくない。が、他にまだ思い至らず。)の告知をしようとして、「神藤啓介」と「啓榕社」、2つあるのがややこしい。何をどっちで書いたらいいかわからないのだ。みんな、店の名前と自分と違くて戸惑うことはないのか?それはすごいことだ。とぼんやり考えていたら、いま僕が啓榕社でやってることは、プライベートでやってることをただ社会にあわせた形にしているだけなので実際には僕と啓榕社は一つなので、それも当然のことなのだった。

啓榕社は、いろいろやりたいことをできるように、コーヒー屋っぽくもあるし出版社ぽくもあるし、結社の響きもあるし、名前が中身を縛ることをきらってつけた狙いもあったから、啓榕社がやることはまんま神藤啓介というひとりの人間がやること全部入っちゃうように、最初からなってるのだった。とりあえず、フェイスブックをどっちか一つにまとめることにする。で、迷っている。

25、6年ぶりにミヒャエル・エンデ『モモ』を読み返しているが、とんでもなくいい。僕が思うことなんて殆どここに書いてあった。

想像の冒険に熱中するあまり、本当の雷を怖がるのを忘れてたり、現実を物語として捉えることで見えなくなるものがある。これからしばらくはみんなに、「モモを思い出せ!」と叫ぶことになろう。


10/5

晴れのち曇り、夜になると同時に大雨。台風がどこかにいるらしい。


台風が寒気に?ぶつかると温帯低気圧に変わるんだって、ということを初めて知った。ふぅん。台風は目で見ることができるが、寒気を人はどのように見ているのだろうか。きっと、肌なりなんなりで感じてるとは思うのだけど。


10月からカフェの営業日が火・水の週2日になりました。松浦君だったと思うのだけど、先週蟻の話を聞かせてくれた。働きアリには必ず怠けてるやつがいる、という有名な話の原因は、アリには卵か女王を24時間世話しっぱなしの役割のアリがいて、相当な重労働なわけだから死んでしまう。すると、今まで怠けてたアリが替わりにそこに入るのだと。君は、その怠けアリなんじゃない?

と言われてなるほどなぁー、と感心して、やっぱりこういう僕みたいな人間は今こそ動かなければ、その存在価値がない!というわけだけど、同時に自分としてももうちょっと店を開けたいなぁ同時に思っていたので願ったり叶ったりなのだった。


綾子ちゃんからコーヒー豆の差し入れを頂いて、みんなで試飲してみる。

美味しいコーヒーは世の中に沢山あって、ことにサードウェーブの流れで自家焙煎の上質なコーヒーがあちこちで飲める。コンビニコーヒーは論外として、そんなコーヒー屋さんのコーヒーを飲んで最近は「美味しい。美味しい、が退屈な味だなぁ」と思うことが増えた。

そして昨日もらった焙煎機で上手に焙煎された(味からして、おそらく直火焙煎だった)コーヒーは雑味のないクリアな味のコーヒーで、美味しい。美味しいのだけど、……。

この、「……」は何なんだろう。


家に帰って、風呂に浸かりながらばんやり考えていたとき、いつもの「コーヒーに限らないが、いまのコーヒーの流れに抵抗しようとする違和感は、どこからくるのか?」これを考えると、毎度毎度の生活と労働の違いや生きる価値といった考えに繋がっていくのだけど、そんなのがぐるぐる発火しては消え、膨らんでは萎んでいく。そんなのが続いている中で、「流行と文化の違い」なんじゃないかと閃いた。

流行か、文化か。とはいっても社会の流れとかではなくて、一人の人が向かう姿勢の問題である。


6/26

夏の雲、曇り。夜から雨。


夕方過ぎから鼻の奥が乾いて炎症っぽい。夜、松浦くんや綾子ちゃんと会うつもりだったが、断念。ヨーコたゃんがヨーレン菌にかかっていたし、様子見る。


水木しげるの昭和史第1巻を読み直している。

「田中内閣は“積極的な”政治」を打ち出していた。大正14年に普通選挙法と治安維持法が成立。このあたりから「終戦までの言論弾圧の布石は完了した」といえるとねずみ男は語る。

中国・南京政府の北伐から日本人居留民を守る名目で3度、出兵。「こういう“積極的な”外交政策は、内政における景気刺激策としての軍事費の増大とも連動している」、「とにかく日本は軍事的にも経済的にもアジアに進出して、権益を拡大しようということじゃよ」。

今の状況とだいぶ似ているようにみえるのは僕だけか。積極的、という言葉。こんなに言葉を空虚に扱うことができるのか、という驚き。

違いがあるとするなら今の政府が目指すのは、新しく権益を獲得するのではなく、かつて日本が持っていた権益(事実持っていたかどうか、他国がどう捉えているかは関係ない。それがお花畑であるにせよ)を取り戻したい、ということのようにみえる。軍事的にも、というところはいささか当時のことはわからないけれど、いまこそ政治も軍事も直接、経済と連動していて、日本が軍需産業に手を広げているのは戦争うんぬんよりもお金を見ているんではないか。

そののち満州某重大事件がおこって、陸軍は力を拡大していく。歴史は模倣するのだろうか?


バーテンダー時代に耳にした、僕が腹立たしくて仕方がなかった、忘れられない話のひとつは、ある客が「どっかの国が戦争を起こしてくれれば、日本も潤うんだけどねー」と言った一言だ。

(でも、普通にこんな田舎で生活していてそんな感覚を持つことがあるだろうか。この人は、ただどこかの雑誌を読んだか、訳知り顔のコメンテーターの話なんかを右から左に受け流しているだけだったのだろうと思う)

参院選を控えて、政治参加を呼びかける人たちも増えてきた。選挙に行こう、と。

選挙は、僕らができる政治活動のなかでもほとんど重要なことじゃないと思っている。なぜなら、あれは組織であり、役職であって、匿名なのだから。

僕がやっている活動は、ある意味すべて政治活動だ。なぜなら、僕ら民にとって、生活の在り方を考えて行動することが直接政治に関わることだ、と僕は思っているからだ。というか、それこそが政治を動かす一番手っ取り早く確実な方法だとさえ思っている。誰か一人の英雄を望むより、組織を支えている僕ら一人一人の意識を変えること。

僕は選挙で政治が(自分たちが望むように)かわると、全然思ってないのだ。僕ら自身が変わることが、政治を変えることだと僕は思っているらしい。

選挙があるたびに、あなたの一票が社会を変えるという。でもその社会を変える人間があなたではない限り、あなたが望むようには社会は変わらないだろう。選挙に行こうと叫ぶ、投票に行く。そして、それからあなたは何をした?本当に恐れられてるのは、僕ら一人一人が考えることだ。投票なんて恐れてはいないだろう。なぜなら、最終的にはその仕組みを変えることができる権力を彼らは持ってる。どうしていま、18歳まで選挙権が拡大されたか、考えてみること。

冷房の効いた部屋で馬鹿でかいTVから流れてくるワイドショーをみて、温暖化ヤバいよ!何とかしないと。政府は、何をやってるんだ?

あ、でもこの候補者、温暖化をストップさせるって公約してる。で、投票。開票、当選をTVで見て、その後の動向はTVに出たとき知るくらい。今日も冷房を効かしてる。のほうがヤバいよね。


6/24

曇り、のち午後から雨。


夜寝る前に、ふと思いついた時に独学の活元運動をやってみる。かれこれ一年になる、でも身体が気ままに激しく動くまでいったことがなかった。それが「あなたの管」でふと目に入った活元の動画を見てから誘導運動をそのようにしてみた。

今までも、背中というか背骨がわずかに動きたがっているのはわかったのだけど、あまりに細か管か弱い揺れで、その動きを意識しようとして掴み損ねてきた。それがこないだ、はじめて身体が意思から離れて動いて、それを観ている自分がうまれた。

昨夜は、昨夜もはじめはわずかな揺れで、それを僕の意思が握って止めてしまわないようにそっと、でも取り逃がさないように観察するうちに動きは段々大きく、またいろんな形に変化して、最後は今までなかった縦の波打ちがきて、落ち着いた。

そのまま寝ようと目を瞑っていると、背中は勝手にビクビク痙攣したりうぞうぞ蠢いていた。今までもなかったわけではないけど、これだけ自由に身体が動いたのは初めてだった。

朝起きるといつも古傷の腰痛があって腰が反れなくて背中が硬くなっていた。それが、起きてみて「あれ?」と驚くほど、柔らかくなって腰も痛くなかった。

昼間、動いてるうちにまて少し元に戻った。