6.22.2018

10時に起きた。

wildtreeに初めて行けた。シャツと鞄。勿論、優子さんが目的。貴重な話が聞けた。

その足で午後から上田市に。

サントミューゼで、篠田桃紅展。

NABOで本を見る。初めて行けた。

小説の本棚が、直球どストライクの並びでいっぱい買いたい本があるけど、我慢。

優奈さんが「うちの本棚を見てるみたいだ」と言った。


がんちゃんで焼鳥、中央のステーキ屋さんでピザのはしご。


22時に上田を出て、下道で帰る。家に着いたら、ぴったり午前2時。

上田、引っ越したくなった。


篠田桃紅展。

はじめて、生で見れる機会で、行ってよかった。

拡大された部分、という印象がついてまわる。正方形の面は点、長方形の面は線で、細く引かれた線は何だろう?と思いながら見ていたら、それは紙には残らなかったかもしれない筆先の運動の軌跡のようだった。

心というと安易に過ぎて、身体の裡で幾度となくひかれる「筋」、筆先や指先に現れる動きの軌跡であり、作家の必ずしも可視化されなかった動き、閃光の筋。花火で描く光の線みたいな。


初期の書は、重力がある。天地が決まっていて、滝のようだ。

濃い墨と淡い墨の重ね書きは陽の光が照らした実体のある文字とそれが作り出す影。

「この人は音楽を線で表せる人なんじゃないか!?」と思ったら、まんま「音」というタイトルだった。


仮名を見るとすっと通った筋に一箇所とどまるところがあるように見えて、映像でみた喉元と関わるのだろうか。もう少し下のように見えたけれど。まるで植物や鳥のような人だ。


圧巻だったのは『永劫』(2012)で、60×240という幅に、たった一本の線(と土台のような小さな四角)で作品が成立していて、それはつまりは一本の筋がそれだけの空間に広がりを持っているということだ。潔くまっすぐに引かれた筋は、作家という存在の背筋そのもののようだ。

驚いたことに、同じ場所に展示された2010年の三部作で引かれている筋から、さらに深化?進化?していることで、百歳を超えてなお、人は進んでいくということだった。

見てて、勇気が出た。