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晴れ。吹きさらしの風が強い、この風は松本であって飯田ではない。でも同時に吹いていた違う風が全く同じ強さで同じ方角から吹いていました。このとき、松本の風と飯田の風は同じ風か、違う風か。天気に個性はない、そう言い切っていいだろうか。


前の日は早く寝ようと思ったものの、家に戻って布団に入ると2時を回っていて、起きると9時だった。あり合わせのブレンドでコーヒーをポットに淹れて松本の、はじめて古市に。

ラトビアのお姉さんのテントで木彫りと思った鳥の玩具を掴むと「ピュイ!」と鳴いておったまげると、笑っていた。「これ下さい。」というと、「このなかで私一番のお気に入りデス」1960年頃のソ連時代のものだそう。2500円。それから下諏訪の散髪屋さんからプリミティブな土の人形を買う。こっちはコロンビア。創作の欲望を突つかれる感じ。


梶間くんや佐藤さんと落ち合って、映画の前に昼飯にカレー屋に入る。ビールも幾つかのメニューも切らしていて、看板メニューのカレーもこれから作るという。最近、こういう時はモードを切り替えて楽しくなる。なんというか、店というより寮のなかの食堂といった感じ。金を払って食事をする雰囲気じゃない。なんでかなぁと思うと、客席にBGMがかかってないのに、厨房だけポータブルラジオらしい音質の音楽がかすかに聞こえていた。急におかしくなった。スキー合宿に来たサークル仲間といった体。

2時からアピチャッポン・ウィーラセタクン『光りの墓』、続けて『世紀の光』を二本立てで。やっぱり、大好きだった。

再生ボタンが見えたり、操作室の声が聞こえたりで映画館ではない、つまりアマチュアっぽさが少しあったので、『光りの墓』が始まった途端音だけ流れているのに画面が暗いままなのを、あり得ると思いながら、これミスだったらいつまで続けんのかなぁと思ったら、結局そういう始まりなのだった。これは、最後のジェンが目をかっぴろげてる場面を観れば納得。

二作とも、やっぱり随所で笑いが止まんなくなる。特に『世紀の光』のあの場面。と言えば、観た人は絶対に同じところを思い出すだろう。『世紀の光』がはじまって、(最初の固定されてショットに声だけ入る、あれ最高)わりと展開が早く進むのでいつもとテイストが違うのかなぁ、と思ったら、一緒に行った人はみんな、こっちのほうが分かりやすいと思ったようだった。本当に一瞬だけど、二度、寝落ちして夢を観た。それが全然後悔しないどころか、貴重な体験だったなぁと思える面白さ。

とにかく、真面目さからギャグまで振り幅が広すぎて凄かった。この内容の映画であんなポップな選曲をされるなんて。あんなに長い時間、野糞する人のお尻をみんなで観る時間もない。「ブリスフリー」の勃起していく場面もそうだ。

思い出しはじめると、とめどなくなる。飯田でもやってほしい。本当に、映画を体験する新しい体験を齎される。

観終わったあと、コーヒーを飲みながら映画の話。はじめはみんな、分からないわからないと言ってるものの、話はじめると色々と話題は尽きない。きっと、「わからない」という時、「わかる」ということが製作者の意図や主張や、物語の展開など、学校の勉強での問題に対する解答の意識に僕らが強く結びつけられ過ぎているのだ。つまり「正解」が一つしかなく、それを探そうとしてしまうのだろう。そのとき、コーヒーを飲みながら語った、自分のなかで強く揺さぶられたものや鮮明に残る場面は、忘れられる。ほんとうは、そっちこそ大事なのである。「あのまま帰らずに、話して良かったわ」

本当に、その通りだなぁ。と思った。ていうか、上映会をしたときはいつも、そうしたいと思っていたんだった。帰ろうとしたら自分、アホ。

いつも、夜の高速を黙って帰る時間が、いつまでも続いたらいいなと思う。この時間のために、ずっと遠いところに行ってもいいな、と帰るたんびに思うのだった。