4/17

ぐずぐすの天気。曇り時々雨。

9日から続いた、「a film about coffee」の上映にあわせてのコーヒー試飲が終了。あたごと中村さんの奮闘に乗っけてもらっただけの僕に、終始気を使ってもらってしまい、感謝感謝です。マウンテンドリッパー、調子いい。最終日のグァテマラが一番美味しいポイントで焼き止められた気がス。中村さん、本当にお疲れ様でした。

映画を観て、僕がやってることにまた確信を得られた。映画を観てくれた人の何人かともその話を尋ねられたのだけど、コーヒー農園の国にも相応のペイを払うだけでは、ただこちらの経済を拡大するだけではないのか、コーヒー農園が拡大の一途をたどると、コーヒーの木しかなくなったヤマの灌漑はどうなるのか?

スペシャルティコーヒーの試みって、すごいと思う。それが生活や流通の構造どころか味にまで広がっているのだ。僕はそこにもう一つ、忘れられているとても重要な要素があると思っている。それは映画のなかにも出てくる。農園主のおじさんが、コーヒー生産で一番大事なのは?と聞かれて「消費者、つまり君らのお客さんだよ」といった言葉(おじさんは、「そのおかげで僕らは生活ができるのだから」という意味で言っていたのだけど)。

何度でも言うけど、非電化工房の藤村さんの

、いつも笑って生活していた人たちに、先進国の資本がはいったことで「僕らは金がない。貧乏だ」という不安や不満が蔓延してしまっていたという話を思い出す。その経済観念を消費者である僕らが変えない限り、同じことが繰り返されるだけじゃないか。「どのコーヒーにお金を支払うか。その意志表示をするべきです」とバリスタの人が言っていたが、それでは駄目なのだ。それは、NYのスラムのスペシャルティコーヒーのカフェで体現されている。僕ら自身の経済観念を変革すること。世界への観方を揺り動かすこと。僕の、芸術の定義。

16日の夜、丘の上でストリートライブ。飯田でも、お客さんがつくのだなぁ。

『リアリティのダンス』をもう一回、観る。それからwebの原稿。一つは仕上がりそう。