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晴れ。2月を飛び越して3月みたいに暖かい日が続いている。

昨日焙煎した豆を袋詰めして、(手書きで全部袋に書いてることを気づかれてないことがあるなんて驚いた!僕の字も捨てたもんじゃないなぁ笑)試飲。昨日の焙煎で、今までのスランプを抜けた。1ハゼ前の火力を少し弱めて、それは豆の皺の具合を見てハゼが起きやすい強さは維持しつつ、1ハゼからの火力を変化させるポイントを少し早くすることでそこから緩やかに2ハゼ、深煎りまで持っていく流れが出来て豆に余計な負荷が減ったと豆が教えてくれたよう。浅煎りと深煎りで、そのポイントは変わってくる。浅煎りの酸味は豆の水分からくるものとは違うのか、調べることに。

そのあと、原稿の依頼を受けて打ち合わせ。とうとう執筆の仕事がはじまった!原稿料をもらって書くのは初めてじゃなかったか、多分そう。はりきって書こう。

はじめは木曜に、つまり今日行こうと思っていたが、思い立って月曜に東京へ行った。木曜だと『トロピカル・ラマディ』 一作だけで、しかも帰りのバスを逃す可能性がかなり高いけど月曜だと二作品観れる!ということで、渋谷のイメージフォーラムでアピチャッポン・ウィーラタクセン『ブリスフリー・ユアーズ』『真昼の不思議な物体』を観る。

13時からの『ブヒスフリー』の回、僕がアピチャッポンを知ったのは佐々木敦さんがどこかで『ブンミおじさん』に触れていたのがきっかけで、その一作で一気に持っていかれてしまって今回もアピチャッポンの映画のためだけに東京まで来たその上映で、見覚えのあるニットと髪と眼鏡が目に入って、まさしく佐々木敦さんではないか!!観る前から変な興奮の仕方(エンドロールが終わる前に席をたってしまい、列の真ん中にいたせいで追いかけることもできず、お礼を言えずに終わってしまった。言われても驚かれるだけだとおもうけど)。

『真昼の不思議な物体』、語られ始めたストーリーの続きを色んな人に好き勝手に作らせ、それをドキュメントにして組み込むことでフィクションとドキュメンタリーが融解、というか瓦解して剥き出しの混沌がスクリーンに映し出されていく(瓦解ということは、フィクションもドキュメンタリーも物語を語ることでは同じという点で、そのストーリーが、つながりの無い複数の人によって続けられることで自然と矛盾や幾つかの分岐が生まれていって、物語られる流れがぶつ切りになってポイっと投げ出されているように観えた)。『ブンミおじさん』にも『ブリスフリー』にも出てくる混沌そのものである自然であるところの森に分け入っていく、その森を違う様相で観た、と思った。

『ブリスフリー・ユアーズ』、ちんこが徐々に勃起していくところ、人がゆっくりと眠りに落ちていくところ、そんな場面を僕は初めて観た、もうこんなとこ撮る映画もないんじゃないか、と思うほどこころが揺さぶられた。それと、オーンが性交する場面に突然切り替わるのにはハッとした。そして、どれも森の中で行われる。もともとストーリーがないような中で、さらに冗長ともいえるくらい長く、じっと映される。そうやってストーリーを剥奪された性交は、普通の映画で描かれる性交が象徴するものとは根本的に違っていて、剥き出しのままであることで何かを表象している。ように観えた。「非言語的なかたちでの世界の表象」。だから、ただ勃起していく様子が、すごく美しくて心が揺さぶられた。

アピチャッポンの映画は、言葉にならないくらいのレベルの微妙さの感情を、言語ではない形で見せてくれる。安っぽい映画やドラマだと動き自体が言語的というのかパターンに嵌めるだけでどれだけ動いてもつまんなくなったりするのが、全く逆のことが起こっている、と書いたのはこれは筆が走ってるだけのように思えるのでここまで。

それでも一軒くらいは、と思ってずっと行きたかった下北沢のベアポンドでジブラルタル(ホワイトコーヒー)を飲んだら、どえらい美味しかった!オオヤさんがセカンドウェーブの思想を反映してブレンドしたと言っていたエスプレッソを飲んだ時以来のすごい衝撃。コーヒーで思想って表現できるんだ…そんな感じ。

日帰りの強行の翌日、喫茶でさっそくカフェオレの改良。でも眠すぎる。それからずっと、目のクマがひどい。