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12月26日、27日

晴れといえば晴れ、が時折ピューピューと雪が風に乗って舞う、北から西似かけての山間部は雪雲に覆われている。日が変わると綺麗な濃い青空に鰯雲が浮かんでいる。昼前から東に強い風が吹く。夕方をすぎて寒さが増してくる。夜、出かけようと車に乗るとバッテリーがあがりかかっていた。かかってた、というのは音を聞くといけそうだけどなかなかエンジンがかからなくて、何回か試すとかかった。リモコンの電池が二つとも少なくなっていた。

年末のせいかまだ豆が届かない。注文できてるのかわからず、困ったことになった。困った、といっても無ければ無いで袖はふれないし、死ぬもんでもない。ここは普段メニューに出しているコーヒーの違う焙煎を用意するのである。飲み比べで杯数が増えたりして(笑)

すぐ、なんとかなる。なんとかならなくても時間は過ぎていく、そしてこの焦りはいつの間にか消えている。しかし、この焦りを感じたことは具体的に何に対してかは忘れても、どこかに蓄積されて時折その重さが不意に右肩のあたりにずっしりのしかかる。これは僕の身体が嫌だと言ってるんであり、今時間が過ぎるに任せて後回し後回しにするのは頭が思うことで、大抵動き出すと身体は動く。あとはどう動けば身体が心地よく動くのか、ということだ。というので、一種類焙煎を増やすだけのつもりが焙煎したい病で結局タンザニアの中深煎りとインドネシアの浅煎りを急遽焙煎する。 夜、マルケでりょーへいん家に集まって忘年会。ブリしゃぶ、初めて食べる。うまい。 高校三年のとき、進路相談で担任に将来どうしたいのか?と聞かれて「のんびり暮らしたい」と言って、苦笑まじりに怒られたことがある。 「そんなことを聞いてんじゃないよ」 しかし、のんびり暮らすというのはなかなか簡単なことではない。ただ暇を持て余してだらだら過ごすというのは、のんびり暮らすのとはちょっと違う。ここには思想が重要なのだ。将来の生き方を決めることが就職か進学か、なんて先生の側もそれしか頭にないのはどうかと思ったのを覚えている。「とりあえず、進学だけはしとけ」その「とりあえず」の楽さにかまけて大学に行ってしまった僕は今はわかる、その「とりあえず」の時間は本当にとりあえずであり続けるだけの時間だ。自分が何かを決めるまでは。大学を退学しようとしたとき、周りは皆「とりあえず卒業しろ」としか言わなかった。なぜ卒業したほうがいいのか、それは「大卒のほうが就職に有利だ、今までの時間が勿体無い。」と見事に皆同じ意見だった。とりあえずで進学した時間が勿体無い、てのはどういうことだろう。就職に有利だから大學に行くのだ、という考えで覆われていたら、そりゃ就職に有効なものを学生は選択するだろう、学ぶ時間なんて勿体無い。たとえどんなに素晴らしい学びの環境があっても、どれほど学んだことがあっても就職できなかったら「勿体無い」時間とみなされるのは当然だ。でも就職することが目的なら、なにが勿体無いって16年も時間を費やすことが一番勿体無いと思うのだけど。