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12月25日

晴れ。

昨夜はバーで寝るのが遅かったので起きると10時を回っていて、昼をまたいで焙煎。日が照っていると室温で焙煎が安定してやりやすい。ここのところ、イメージのなかで常に豆が焦げるギリギリの線を探って、必要最大限の火力(最小ではない)でゆっくりと、でも余計なダメージかないように。1ハゼまでの温度変化の違いが、豆の表面に現れる違いででてくる。

いつも焙煎するとコーヒーが飲みたくなって、家に戻って自分のコーヒーを飲むことにしてペーパー三枚重ねて落とす。淹れ方をいじると、予想以上にサラリとした舌触りになった。

車の移動中、ずっとアフリカのフィールドレコーディングの音源をyoutubeで聞いてた。ピグミーの森のなかを歩いていく歌がすごい。

夜、マルケのみんなでひらのやでかつのの歌を聴きにいってそのまま同伴出勤(笑)でバーに。年末進行でだいぶ賑わって働いた気分になった。ビリヤードで子供みたいにはしゃぐ大人三人とカウンターでなんか落ち込んでいる最年少。たとえば明るい歌がつくれない(たぶん周りは誰もそう思ってないとおもうけど)、という悩みが僕にはわからない。芸術至上主義みたいなとこが僕にはあるので、他の人間なんかほっといて歌のために作りな、それがいいと。人にとっていちばん身近な自然は自分の身体だ、だから「自分のため」が「自分の身体が向く方向に」というのは、僕のなかではここでの話なら「歌のため」

になる。だから、出てくるのが似たようなものでもいいじゃない?横尾忠則は「一流の人間は似たようなものを沢山作るんだ」みたいなことを言ってたのを昨日Twitterで見た。

「世のため、人のため」の「人のため」が、だからみんなの身体が心地よいと思えるものでなければ、そして「世のため」の世のなかに匿名の人間しかいなかったら(特定のではない)、僕は「世のため人のため」と信用しないのだ。芸術家がそんなところで、周囲に妥協してどうする!と思っている。

だから小島信夫を読んでいるとどんどん小説が書きたくなってくる。「暮坂」を読んで、蕎麦が食べたくなる。ネットにはそばきりのご主人が書いたという品書きの写真がアップされていた。写真だけ見たのでサイトがどういうものかわからない、やっぱり「暮坂」を読んで行ってみたいと足を伸ばした人が撮ったのだろうか。三色そばの写真もあった。