12月11日

雨。午前中は激しく、雷が轟くというくらい鳴って、風も強いその風が北東の南アルプスの上空に(言葉にすると矛盾するこの地理の正確さが好きなのは、ちっぽけな人間のサイズに突然、自然の破格な大きさがゴロン、と投げ出される荒々しさにあるのかもしれない)雨雲を押しやったので午後には冬らしくない春の嵐のあとの暖かさが訪れる。このまま桜の季節になりますよ、と言われたらおぉ、そおですか。と納得の暖かさ。時折、小雨が舞う。

午前中に焙煎を済まして、そのあとベラの原稿を仕上げる。蒸らしの段階で少し長めに時間をとって、1ハゼ前に上げる火力を弱めることで香ばしさを後ろにひかせて、浅煎り~中煎りの豆のフレーバーを全面に押し出せるか試してみる。もう少しクリーンな味にできるかどうか。出来上がりをみると、豆の表面に少し皺が残るものがあって、となると豆に火を当てる強さを抑えるためには二種類の方法のどっちかをとってみようか。やはり、鉄のドラムにしたいなぁ、という欲は抑えられない。

来月からベラが少し大きなサイズになるので、文章もそのぶん長く書ける。それが嬉しくて、早々に手をつけた(といっても、〆切までもう一週間しかない!)。月に一度、原稿用紙2枚〜3枚のものを書くようになって一つの文章を簡潔にする訓練も兼ねてみている(なにしろ、すぐに長くなってしまう。出来上がったものが小説なのかわからないが、下手くそなのはまちがいないのだから)。書いてみて気づいたのは、この長さのものは自分が小説のモードのようなものに入る前におわってしまう。そのせいなのかどうか、どうしてもうまく纏めようとしてしまう。すると形は小説然としたものになるのだけど、テンポが違う気がする。自分の下手さはあるとしても、小説にはある程度以上の長さが必要なのかもしれない(絵画のサイズや映画や音楽の長さを、思い起こしてみるとなんだかわかる気がする。それは好みの問題?それだけだろうか)。 古事記やインディアンの歌なんかの、まだ自然との繋がりが今とは違っただろう時代や場所の話を読みながら、セサル・アイラ『文学会議』とミシェル・レリスの『幻のアフリカ』を読んでいる。今回のベラの原稿でもそうだけど、どうも書いていると動物や植物や、ときには地面に空いた穴なんかが喋りだしてしまうのだけど、それはいいとして、その喋り方がわからない。水木しげるも考えてみれば、その喋りが聞こえる人だったのだろう。ともすれば、かすかな囁きが耳をそっとかすめたと思う時もあるのだけど、この感覚を拡張させていきたい。それはきっと、自我よりも身体が優位なところだと思うのだけど、どうだろうか。 天竜川の高さの田園地帯を通っていると、人家の畑みたいな庭にサギが降り立って、おぉ、と見入ってしまった。 夕飯にカラボナーラをつくったら、試しに少しマヨネーズを垂らしてみたらマヨネーズ味になってしまった。だから、マヨネーズを垂らすのは嫌なんだ!マヨネーズだけならすごくおいしくて好きだ。 変な夢を沢山みた。