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12月5日

晴れ。暖かい陽射し、冷たい風。

朝遅めに起きて掃除機をかけて、便所やお風呂の掃除。四人でラーメンをお昼に出かける。そのまま公園に行ってしこたま走って、かんたと遊ぶ。ひつじはすれ違いで残念!帰ってから昨日、試焙煎したニューギニア・ブヌン・ウー浅煎りと中煎りをいれて、比べてみる。それをもって実家に。かんたと蜜柑を食べて、マリオカート。午前中、暇だったら佐々木くんとこに遊びに行こうかと思ったら夕飯にたこ焼きのお誘い。即、受諾。しんさんも一緒。結局2時までお邪魔してしまった。

あいまあいまに水木しげるの昭和史を読み進める。最終巻の本人のあとがきは、どこか小島信夫と同じ感触があるのだけど、はっきりとそれがどことも、その差もわからないけど、似ているようで反芻してみる。一殺2400円はいまの僕にはかなりきつい、けど購入しようかな。来月は東京までアピチャッポンもどうしたって行きたいし、ということは最低2日がかりは確実だし、悩むところ。

どこかの市議の人が爆弾を仕掛けた人物が韓国籍であり、我々が国交断絶するためにとるべき行動というのをブログで書いていたらしく、原さんに失礼は承知で質問。「テロと認定するのはいったい誰なのでしょうか。」原さんはとても真摯に自分の考えを述べてくれて、おかげでテロリズムを定義することの相当な難しさが僕のなかでもはっきりと形になることができた。個人があのような許されざる攻撃をすることと、しかしたとえばシリアに空爆をしかけたロシアやフランスとどう違いがあるのか。空爆はその性質上、一般市民と軍人やゲリラをはっきりと区別して攻撃することは不可能で、というかその区別が非常に困難なことは少し歴史を紐解くと枚挙にいとまがないことで、その空爆テロリズムでないといえる根拠は乏しいと思われた。テロリズムであるかそうでないかは、個人か国家かという問題ではない。事実、テロリズム国家と名指しされる国だってある。 ブログの市議は韓国を念頭においているのは間違いなく、そしてそれがテロリズム国家であるという理由である。では彼は自国が直接被害を被っていないテロリズム国家に対してはどう対応するべきと考えるのだろう。まだ犯人もその意図も判明はしていない今回の爆発事件には、あれほど強い口調で臨んているが、よもや諸外国の行為はテロかどうか判断するのは我々ではないとでも言い出すのだろうか。結局、感情的な発言なんじゃないか?と思う。そして、感情的なことは決して否定されることじゃない。それを認めず、論理的であると勘違いしてるのは問題だと思うけど。 という対話をしていた直後、米乱射事件が「一匹狼」型の支持者によるテロだった、という報道がきた。フランスではあのテロ以来、空爆の支持率が81%に急上昇したそうだ。日本もHP上で「テロの対象」と名指しされるようになってしまった。この流れは、本当にいやだ。みんな、戦争は嫌だと言っている。70年前だって戦争は嫌だ、とみんな言っていたと。でも、戦争への道筋を後押ししたのは、他ならぬ僕らと同じ普通に暮らしている人々だった、そのことを水木しげるの昭和史で実感していたところ。僕は水木しげるさんのような体力は、ぜんぜんない。ほんと、イヤだ。戦争なんて始まってないし、そんな将来に不安を抱いてもしょうがない、とも言うのだけど、いつ戦争が始まったかはだれにわるものか。しかも、相手がテロとは。しかも、今はまだ日本は辛うじてそうではないけど、原さんとの話から導き出されるテロの定義からすれば、いつ自国がテロリズム国家になるかもわかんないわけで。「テロとの戦い」とは、いったい誰との戦いなんだ⁉