10月5日

晴れ。


早く起きて焙煎。エチオピア、タンザニア、ブラジル。

原さんとこに行って、ツルツルのタイヤを交換してもらう。その足で豆を納めにいって、片桐さんと出くわす。カバーのかかった本を渡してくれて岡本太郎の「毒を持て」、そんなようなタイトルの本を何年か前に購入して読み始めて、途中で投げ出したものをまた読もうと思って、でも読み出したら久しぶりだから、やっぱり全然覚えてなくってね。

それを聞いて、忘れたならまたはじめから読めばいいじゃないですかと言って「はっ!」としたのは、通読することが読書の目的じゃないんだ、ということだった。いや勿論、まるっと全部で一つの本なので切り取ることはできないのだけど、なんというかたま通読を目的とするのは、この本を読んだ。と思えるいちばん安易な手段なんではないか、と思ったのだ。自分の読書を振り返っても、特になんだかわかんないことが書いてあって寄る辺ない本を読むとき、わからない、入り込んでこない部分があってもとにかく先へ先へ進んでいく、それでもそうして最後まで読み終えるととりあえずは「読んだ」という満足感なりカタルシスなりは得られる。

でも、そんなの本を読むなかでは大したことにはならない。わからなければ、引っかかるところがあればそこを繰り返し読む。楽しければ、何度だってそこに戻る。そういうことが本を読む、ということなんだ。

ということはそれこそ保坂和志がよく書いていることだけれど、片桐さんとカレーを前にしてストンと自分のなかで生まれたかのようになった。