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10月1日

雨。夜になった小雨は真夜中にすごい勢いで暴風雨になっていた。翌朝、からりと晴れ上がる。


バー明けに朝寝たら、再び10時半には目が覚めてしまった。た、体力がない…。月曜はバンドの練習で帰ったら3時だったし、火曜は迎え待ちで3時半だったし、最近寝るのが遅すぎてみんなに隈がすごいよ、と言われてしょぼーんとするのであった。


エチオピアとタンザニアを焙煎。秋にはいって焙煎の変化に悩まされていたのが、タンザニアを焙煎するときに突然解決した。おそらくこの時季限定と思う、暖機の時間を変えてら焙煎自体もスムーズに進行してくれた。これがまた寒くなると、また豆に聞かなければならない。


アヲハトに豆を持っていって、麻美ちゃんと話をする。というか、僕がべらべらと喋っていた。それでわかったのは、昔っから僕が選んできたものを決定していたのは、ただ決められたレールに乗ることへの生理的な抵抗だっただけかも、ということだった。多様性を保っていられる環境をただ望んでいるいまの志向は、明確に25歳というターニングポイントからだと思い込んでいたのだが、なんのことはない、ちっさい頃から似たようなものだったことに気付いた。

ちなみに多様性を是とする、ということは自分自身に当てはめていくと、ちょっと考えるとあるところで息詰まる。それは、自分の命は有限であって終わりがくるのだから、また一瞬一瞬の選択はその他の選択を捨て去ることでもあるのだから、結局自分自身の人生はたった一つに収斂されてしまう、ということだった。32歳になったころ、だったと思う。もう少し後だったかもしれない、僕はこの考えが大幅に変更された。松浦くんという男は、少しでも多くの可能性を自分に残しておきたくて、いつもあれもしたいこれもしたいあの子もこの子も、となっている彼をみて僕ははっきりと、可能性とは選択の数の多少のことなんかではなく、人ひとりの人生なら1つないしは2.3に限定して選択した後に現れるものだということを実感した。(そしてそれは、松浦くんが結局は選ばざるをえなかった今の仕事の仕事ぶりを見てもわかる。確かにあそこには可能性があるもの)

そして、僕がなにか一つの道なりなんなりを選択することと、多様性を並存させることは相反しない、ということ。これは言葉にするとなんのこっちゃ、というか全然論理として成立してないのだけど、実感としてこれは確かにそうなのだ。自分自身に関してなら、これは分裂させたままにしておく、とか理想を固定化したまま持たない、ということである。それこそ森敦が言っていたように、「まずは自分の矛盾をないものとせず、そもそも矛盾した存在であることを前提とすること」とかそういうことじゃないか、と思う。

他者に対して多様性を望む自分がとる姿勢は、理解することや理解しようとすることよりさらに、結局自分には全く理解できないようなことが世界にはあること、そしてそれを排除しない、ようは無視を決める、ということにもなるだろう。

(最近の息苦しさの原因は、どうもこれのような気がする。みんながみんな過干渉で、無視できずに排除しようとする。日本て、いつからこんなに他人に厳しい社会になったのだろう。ずっと、そうだったとは思わないのだけど。)


アホな僕はそれまで自分が選択しなきゃならないことに対して、あらゆる考え方を網羅できないこと、考えつけないこと、認められないことに対して絶望してみたり苛立ったりしていた。それがいつだったのか、一つしか選べないことと多様性を望むことは同時に為せることに気付いて、いまは選択することに対してあんまり意に返さなくなることができてきた。


19時半から打ち合わせ。帰ってから、小一時間身体を動かす。走ってこようと思ったら、なんかどえらい雨風が来るというので断念する。普段ニュースを観ないのでそんなことも知らなかった。でも、風の具合からなんか変だなぁとは頭の隅に浮かんでいた。

身体を動かしたのは寝るためだ。なぜ、睡眠を精神的なものとして捉えていたのだろう。睡眠を必要としているのは断然、身体であろう。寝れない寝れない、あぁ頭ばかり冴えてしまう!となって、あたかも頭ばかりが睡眠を必要としているように考えられていて、それは睡眠を考えるようなTV番組なんかで脳波とかばかり調べてるからなのと、寝ている自分のことを知るのが夢しかないからではないか。でも、身体も睡眠を欲している。とここまで書いて、何を当たり前のことを言っているんだ僕は、と気づく。整体にいわせれば、睡眠時の寝返り、寝相が悪いのは身体が意識に邪魔されずに動くことで身体がいちばん楽になるように身体を整えるための時間なのだ。だから、寝相が悪いのは本当は寝相がいいのだ。それが健康ということだ。寝ているときに小さい子どものほうが老人に比べて圧倒的に動くのは、だから当然なことといえる。

というわけで身体が寝たくなるように体力を戻すようにすることにしたのに、丑三つ時のあまりの風と雨の強さに寝れなくなった優子さんに起こされて、結局この夜もまた寝不足とあいなるのだった…。古い家で窓が飛ぶかと思うほどだけど、日曜大工のぼろい素人小屋を建てた身としては、屋根と壁が立ってるだけでただ安心できるのでやはり自分で家を建ててみることを強く推奨します。