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6月19,20日

19日、昼から雨。降ったり止んだり。少し涼しい。


朝、原さんに用事があって電話するとちょうど車検証?のことがあって会いにいくと結局別れたのは15時であった。世間話をしつつ、なんとなく珈琲の営業をどうしたらいいか探りをいれつつ、今はそのことが結構大きな難題なので、簡単に答えをくれたらいいななどと甘い考えを持っていたのだけど、話はどんどんいつもの方向に向かっていくのだった。その途中で「飽きたらすぐ辞められるようにしておきたい」と言った僕自身の言葉が頭に残って、うまい方法を見つけた気がした。試してみよう。アイスコーヒーの設置の話もしてくれた。

労働とは?生活とは?という話が生きることにまで広がり、僕は死にたいとするのは頭だけで身体は生きようとする方向に勝手に動いていく、という感覚なのだが、これはもっときちんと言葉を探って表現するならば。僕たちの身体は「死」を知らず、それゆえに身体が起こす様々な対応や変化は「生きる=生きている現況」ことに向かう。「癌は?」と聞かれたが、これも細胞が死ぬとかではなく、身体へのなんらかの負荷に対する変化であるなら、それは結果的に死に至るとしても対処である以上生き延びるための変化なのだ。そのとき出した例で言うと、サバンナで外敵に襲われるインパラはもちろんその場から逃げようと必死に走り出すけれど、それは死に対する恐怖から走り出すわけではないのだ。「死」を知らないから、身体は「死のう」とはしない、のだ!

あと、世のため人のためというとき僕がイメージすることは、今なら例えばキュウリの蔓が差し出した指に巻きついてくれることを、キュウリに対して自分が為したこと、という基準がある。FBなんかで見る、知り合いや経営者の人たちがあげているようなものを見る限りでは、キュウリが蔓を巻きつけてくれるにはアサッテの方を向いているように見える。

そんなことで話は尽きずお昼の時間になっても僕が帰らないので、2人でアヲハトへ。麻美ちゃんはいつも僕が少食なのを気にしてくれる。ユータローのバイトだったのを初めて知った。ロジャー・ペンローズの量子脳理論の話。ゆうすけくんに頑張ってもらって、僕ももっも頑張って、ロースターを鉄でこしらえてもらい、大金を渡したい。そんな妄想が頭に浮かぶ。

谷澤さんに連絡をすると、夜のツアーでの出店はNGになりそうだということ。とても残念だけど、大量の注文をさばくためだけのコーヒーの出し方をお前は選んだりしてはいけない、という神のお告げとして厳粛に受け止めることにして、お昼の営業を打診してもらえてのでそっちで頑張ろうと思う。なんにせよ、ありがたい話をもらえて感謝しています。

夜、焙煎がしたくてうずうずするのを抑えて、水出しコーヒーの豆選び、豆と水の量の割合を実験。浸漬の時間も計測する。久々に「小説の自由」シリーズを引っ張り出して、パラパラと読む。


20日、晴れ。厚い夏のような雲がゆっくりできつ流れつ。一瞬、雨が降る。

パプアニューギニアの水出しに、微妙に生っぽさが出ていて自分の焙煎の甘さが浮き彫りになった結果。とおもっていたら、冷蔵庫から取り出し豆を引き抜いてほっておくと、しばらくてら落ち着いて飲めるところまできていた。でもまだまだ。他の豆で試してみる。

午前中、エチオピアとタンザニアタンザニアにかなり手応えを感じる。とちゅう、スプーンで取り出し匂いを嗅いでみると本当に青リンゴのようなフルーティな香りがブワァと広がって驚いた。

言ったん戻ってお昼に冷やし中華、はじめました。ピーマン、ルッコラ、バジル、万願寺唐辛子を収穫。

午後、バンドピックのあとパプアニューギニアとブラジル。ブラジルは長時間の焙煎を試してみる。2ハゼにはいってから暫くして頻繁に香りの確認をしていると、あるポイントからしばらく、オレンジみたいな甘い柑橘系の香りがする気がする。あれは錯覚だったのだろうか。

夕方、フリーペーパーの取材。

間引いた大根の葉と他野菜とチーズでスープ、ポトフ、サルシッチャを気取ったウインナーのオイルパスタ。食べすぎて、おならがくさくなったゃった。明日は茅野まで足をのばしたい。山下清を見るのだ。