読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

5月30日

快晴。


朝水撒きのあと、松本へ六九へ出かける。

はじめに入った展示の店の展示を見て、可能性を感じた。いちがつむいかの作品も、やっぱり出るとこに出せばいけるな、と。趣味と理想と遊びのどれも半端でただの模倣より、遊びでも突き出していることの潔さが造形に出てくるものだ。さるゃまのブースは、東京の店に一度行った時の興奮がなくて、自分の好みが「現代作家よりそっち(骨董品)のほうなんだね」と佐々木くんに次の日に言われた、その通りなのかもしれない。プロダクトのデザインはよくても、使い勝手や重さがなぜこの形で重さなのかわからなかった。ミナの店で「これが欲しい!」と思って手にとったら非売品で、非売品でなくても金がなくててが届かないだろうけれど、すごくよくて家に持って帰りたい。青花の、イタリア10世紀末の教会のフラスコ画?の、ルネサンス以前の世界の描き方がコミカルでカラフルでグラフィックな絵画に目が釘付けになった。柱の上部に取り付けられた飾りの、背中を思い切りそって丸まった、尻の下から覗かせた顔もそんな格好も秀逸で、本を購入したくなって、残念ながら予算大幅オーバーで断念。絵画が絵画として固定する以前の奔放さが、芸術として昇華されるのとは違う昇華の仕方を僕らは見ているんだろうか。ビガ展の西アフリカの部族の仮面たちのように。あの郵便受けに感嘆。

そして、オオヤミノルさんが出店していてドリップコーヒーを貰って話しを聞いて、あまりのあまりさに圧倒されて、でも忘れてはいけない。でも、ここには書かない。お礼を言って席を立つとそれからはもうずっと、コーヒーのことと聞いた話と自分が繕っている部分を見透かされたような恥ずかしさと相手にされる壇上までいけなかった悔しさといりまじっていても立ってもいられない。わからないことだらけだから聞くこと沢山あるのだが、ただ聞くのも悔しい。方法や道具も何でも答えてくれるのだが、なぜそうするのか、なぜそうなるのか、それは言わない。その佇まいに敵わないなぁ、と思って感動した。カップに残ったスパイスの香りが、ピリッとするあの匂いがなんだったかなーと歩きながら考える。

せっかく出店していて、そうそう飲みにいけるわけでもないから、もう一度戻ってエスプレッソとアイスカフェラテをもらう。じわじわと効くドリップコーヒーと違って、エスプレッソは口に運んだ瞬間の衝撃がすごかった。今までに飲んだものと全然違った。豆買って帰る。

焙煎していて、コーヒーって焙煎してから最低2日、そこから2週間くらい経つと、豆全部の味が突出するところがなく一つに円くなって美味しいんじゃないかと思っていて、誰もそんなこと言ってなくてそのせいでなんで自分が言わない必要があるのかアホらしいけれど、豆の袋におんなしことが書いてあった。

もう、自分はきちんと自分でいましょう。フーケア?だ。


帰ってビールを飲んで、すぐ明日の準備があったことを忘れてしまったなーと思ったが、仕方ないから寝た。