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5月5日

快晴。


今日からとうとうカウンターのなかに立って自分のコーヒーを出すことに。いつも準備がギリギリになって焦るのがわかってるから、早く準備をしようと思って頭が動かないのはなぜか。1日空けた開店の2日前まで焙煎で試行錯誤。

今回のエチオピアはアリーチャからモプルコに替えてみる。1ハゼがおさまって45〜50秒くらいで、それまでなかった酸の香りが一気に広がって、これが抽出したコーヒーに出たらいいなぁと思って、ひっきりなしに匂いを嗅いでいると15秒もしたらその香りはおさまってしまう。で、あわてて火からあげたのだが飲んだコーヒーはかなりベリーの酸味の効いた味だった。なるほどさっきのところでとめるべきか、それとももう少し焙煎をすすめてまろやかな酸味を表現しようか。かわってケニア・キルニャガはグレープフルーツなんかのシトラス系というか、つんとした酸味。今まで深煎りでしか飲んだことがなかったケニアが、どうして深煎りにしてたのか納得するくらい酸味が複雑で強い。

手網焙煎からロースターに替えて豆の変化の確認で、匂いがかなり大きな割合を占めるようになった。かわりに微妙な音の変化が聴き取りづらくなったけれど、匂いの変化のほうが細かく豆の状態がわかるような気がする。焙煎のときに変わる香りが、カップに落とされたコーヒーのどんな味になってくるのかの繋がりがまだわかんない。

初日、なんとから10時10分に開店。天気が良くて、お客さんにテイクアウトしてもらって店を出て、前の公園で寝っ転がってゴロゴロしましょう、と言ってのんびりしたくなる陽気。

久々に顔をみれた後藤くんや奈っちゃんが口を揃えて、「何これ、コーヒーじゃないみたい!」と驚いてくれていて、してやったりという感じ。開店時間までのバタバタの緊張はギリギリの性格がもたらすことはわかってるのに、やめられない。カウンターに立つことは、やはりというか意外にというか、全然緊張がない。むしろカウンターを挟むと人と話しやすいのは、そうすることで自分の立ち位置が相互に認知されやすいからなのかもな、と考える。で、それでは結局「あそこの店の人」で終わってしまうので、カウンターの外でも自分の立ち位置を自分で決めることが重要なのだ。

自分勝手とかわがままとかともとられるかもしれないその立ち方をしている人にすごい惹かれる。

しかし「コーヒーじゃないみたい!」というのは、いいのかな。奈っちゃんがあとでメールをくれて、一口いれたはじめは全然ピンとこないのに、つぎにフルーツを絞ったみたいな味が広がるのが不思議!と言ってくれて、やっぱりこの子に飲んでもらえて良かったな、と思う。


月々の(まだ、日々のじゃない)生活の費用のことを考えると、少し暗澹たる気分にもなるが、そうなるとやること全部労働に様変わりして、効率と費用対効果がてっぺんにくるのでいっぺんに楽しめなくなってしまう。そーゆーとき、小説を読むと自分が本当にいる世界に引き戻してくれる。