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4月11日

雨模様。この「模様」は「今晩は雨のもよう」の「もよう」のことなんだろう、多分。


ジャングルの奥地に点在する小さな草原のひとつにに作られた集落の、家といえば木の枝と幹の皮と藁と大きな葉と蔓で作られた高床式のずいぶん風通りのよさげな小屋が幾つかあるくらいで、鶏と犬と小柄の猪が人間とともにぶらぶらしていて、みなボロボロのTシャツに腰巻を巻いて、裸足かサンダルを履いている。その村に駐屯しているのかそれとも捕虜になったのか、結局は逃げ出したのだから恐らく捕虜だった、その村で何があったのかは思い出せる糸口そのものが茫洋としてもうそのきっかけすら掴めないけれど、まだ星が空に残っているほの暗い朝早く、裸のまま脱走して森の中に逃げこんだ。走る森はいま思えば、実家の近所の御殿山という小高い山というか河岸段丘か断層でできた(ここの地形はほんとうに入り組んだ段々になっていて)森と竹林がくっついたようなとても熱帯らしくない森を気づくと四つ足でものすごいスピードで走っていた。積もった落ち葉は柔らかく、そのしたの岩や幹につまずくこともない、木々のあいだを正確によけ抜いてなお、後ろを振り向いて追手を警戒する余裕すらあることが今の僕には当たり前の芸当だからそれがすごいとも思わない。ただ、森を疾走する快感は少し感じている。ようするに、僕はケモノだった。

朝日が昇った(本当は朝日は降りてくるものだが) 。人ひとり余裕で通れるくらいふとい、赤く錆びたパイプが三本連なって下っている登り斜面をそのパイプに沿うように一気に駆け上がっていく。呼吸は激しいが息が切れることもなく、身体もバネのように軽い。コンクリートの階段や鉄製の手すりが次第に現れはじめ、それでも朝日が刺し漏れてくる山の頂きにむかって走り続けると上方に見えてきたのは、全面ガラス張りの壁が行くてを阻んでいて、そのガラス窓の向こうのコンクリートの塊からパイプは突き出していて、その脇にやはりガラス張りの扉がひとつ、ついている。まるで植物園の中のアマゾン館の入口のようだ(言ったことも聞いたこともないが)。ガラス窓が近づいてきて階段をあがる歩を緩めると、ガラスの向こうに博士が通り過ぎる姿が目に入り、あわてて踵を返してどこか隠れる場所はないかと身体を小さくしたのだけれど、博士は視界の隅に動く僕の影を捉え一瞬驚いたものの、すぐにガラス扉の取っ手に手をかけ、鍵がかかっていることに気づいてポケットの中をまさぐった。

はじめてみる類の夢だった。


本を読むだけでなく書くことにも同じ事がおこる。

「そうだったのか、昔の人(1940〜50頃の話)は自動車が街を走り始めたばかりの頃は、「道なんか作るのは勝手だけど、こんなものが世の中に広まるはずがない。私らには一生縁のないもんだ」と思ってたんだ!」

ということを、自分が書いている小説の人物が語ることではじめて知って、そうだよなぁ、まさかこんなんなるとは思わなかっただろうなぁ、と驚きとともに納得してしまう。こういうことがよく起きる。僕にとって書くことは、自分の考えを纏めたり一本のストーリーを作り上げることよりも、思考を今までなかった方向へ向かわせることであり、世界を拡張する手段のようなものだ。