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3月29日

雨のち晴れ。


昨夜の火事は物凄かった。二人、亡くなったらしい。日が落ちたばかりだったから、まだ起きていた時間に違いない。朝になって外に出たら、大きな黒い灰がそこかしこに舞い落ちていた。

田島さん今泉さんがコーヒーを買ってくれる。マンデリン、ペルー・マチュピチュ。今までコーヒー豆を買ったりしなかった人が僕のコーヒーを飲んだことで自分で淹れて飲む気になってくれるのは、本当に嬉しい。

夜、かじまくんと久々に会って話す。「狐」で落ち合う。待ってる時、ふと天井を見上げるとガラス窓の向こうの蔦植物が天井の隙間から侵入し数センチの蔓が小さな葉を室内に広げていた。こういうのはすごく好き。だけど、それを伝えると「やっぱり。お客さんで見つけた人は神藤さんだけです」と言われた。誇らしい。のか全然わからんけど、ちょっと嬉しい。

六次産業を謳って作られようとしている店舗が、農地を潰して建てられようとしていることに納得できない、と言っていた。その通りだな、と思う。近い将来、自分の店を持ちたいという話。その話についても後で思ったのだけど、大事なのは場を作ることか、建物を作ることか。たとえばバーテンダーは一本の酒瓶があればそれでいい、という話もある。なにかいま、飯田市のなかで起こっていることは、本人たちはそのつもりではないだろうが、結局ハコをつくることしか見えていない。そうではないのに。今日は雨が降ってしまったが、来週末は絶対にコミュニティ街路であるリンゴ並木でコーヒーを淹れよう。勝手に。人が集まるのに金を使わなきゃならないなんてのは、ものすごく狭い了見だ。子供の頃、友達があつまるのに財布なんて必要なかった。それを思い出そう。道路脇のベンチでコーヒーをいれることが許可されるかどうか試してみよう。

梶間くんと話してまたやる気が増した。ありがたいこと。


さっきネットで見つけた、それは大きな絵で写真だけど一緒に写った作者から憶測するに2700×1800ほどの大きさがあり、等身大の部屋が写実的な描写で描かれている、若い女性がその部屋いっぱいに、巨大化してしまったのか背を丸めてしゃがんで片手で天井を抑えるようにして窮屈にしている。不思議の国のアリスみたいだ。その写真みたいな絵画の写真らしさを支えているのは、細部の丁寧な描き込みであるだろう。髪の毛、シャツの皺、青いストライプのパーカーのその青い線の陰影、デニムの色落ち具合。それらがおろそかにされていたら、その写実性は失われてしまうだろうし、それは画面が大きくなればなるほど如実に現れることになる。写実に限らず、細部へきちんと心砕くくだきかたはもちろん色々あるだろうけど、そこを蔑ろには絶対にできない、と。小説でいえば、こういえるかもしれない。長編であればあるほど、細部への心のくだき方、細心のこだわりがますます重要になってくる。

そういう意味での小島信夫の凄さは、ほんとうに凄い。細かい計算は保坂和志がエッセイや小説論であげていたけど、一日に40枚だかの原稿を一度に書いて読み直さない。書き直さない。そしてそれが同時に複数の作品を同様に書いていたらしい。寓話、菅野満子の手紙、わたしの作家遍歴。ダーっと書いて、小島信夫が書いた文章はどれもみんな小説だと感じる。上に書いたようなことから考えてたら、書く一節一節の文章がみんな小説になってしまう、それほど常に小説を考え続けた、というか小説のなかを生きていたんじゃないかということを意味するのじゃないか。大江健三郎の『後年様式集』での達成を考えてみる。小島信夫は異様だ。