3月14日

朝方、薄曇りのち晴れ。昼間あたたかい。山の中腹から雪でうっすらと白化粧。夜、冷える。


午前中に焙煎。マンデリンG-1、ペルー・マチュピチュ

バーテンダー時代に店が変わった時に決めたことは、バーに来たことがない人、バーに合わないと(本人が)思っている人が来れる店であること、だった。ここで固定観念を取っ払ってバーに行きやすくなれば、街中のいろんなバーに行って(飯田は割とバーが多い)自分の好きな店・飲み方を構築していってくれたら街のバー文化(文化って言葉は大仰すぎるけど)は面白くなるだろう。結果、よそのバーに行かない人やなかなか扉を開けられない人が沢山集まってくるようになった。逆に医者、公務員、社長といった人はてんで来なかったから、稼ぎは悪い。でもバーボンが好きだと言うならすぐにふぃふてぃいずがいいですよ、とか言っちゃう。

実際、その人の好みに合いそうな他店を紹介しすぎてお客に心配されたくらい。でも、なんでもそうだけど店側だけで向上することなんてあり得ないと僕は思っている。いい客がいい店を増やす。ただ自分のとこだけで囲って洗脳してみたって、そんなの先がないのはわかりきったことだ。それにいつでも同じ店に行きたいとしか思わないとしたら、それもすごく残念なことだ。女の子に話しかけたいときもあれば、一人で飲みたい時だってあるんだもの。

今、焙煎の仕事はコーヒーの味を追求する方向ではなく(もちろん、もっと美味しくしたいし、その道も手放さないけど)、焙煎方法から環境まで含めた全体を一つの作品として捉えたいと思っている。

店を持とうとするとき、既成概念を疑ってみれば資金がなくてもやりようはあるんだ、ということを見てもらえば皆もっと自分のやりたいことに向かいやすくなるかもしれない。そうなれば、今までとは全然違う形が飯田にも出てくるはずだ。

この街には同じような店ばかりでつまらない、と皆言うけれどそれならばと腰を上げる際、店の形や売るものを変えるよりも、店の見つけ方や金の使い方から変えることで面白くなるだろうという確信。

啓榕社はアートワークなんである。僕はどうやら、場を作りたいのだ。そのなかでできるだけ自分が納得できるものを出したい、なぜならそれが僕の作品になるからだ(そして作品にしちゃえば事業計画書だって、小屋だって作品として売れるし!)。

表向きお金を稼ぐための経済活動に見せかけて、芸術をするのである。


しかし、いま僕が考える経済活動も芸術活動も実は同じことなのだった。芸術が、一人の人間を通して見えている世界の現れ方の提示だとするなら、経済=自らのサイズを知り動くこと、もまた世界との関わりの在り方として芸術なのだ。