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2月27日

晴れ。朝方、風強い。何日か風の強い日があると、ある日春になっていた、なんて。雲の塊が、丸く大きく細かい、薄く向こうが透けるような冬の雲と違う雲。


なぜか失念したままポンと藤村靖之さんがあの「煎り上手」の発明者だったことをHPを見て、あっと驚いて思い出す。

「美味しいコーヒー」のなかでずっと気にされていたように、いまコーヒーを追求するならスペシャルティコーヒー、それとスペシャルティコーヒーを最大限活かすにはある程度以上のサイズのロースターが必要なのが、バーの世界でも蔓延していたような物語としての拘りじゃなく(「スコッチはストレートじゃなきゃ飲む価値なし」のような狭量なスタンス…)、数値的というのか客観的な立ち位置で、ひしひしと伝わってきた。

でも、いまこうして書きながら考えると(いつも書くことで考えがすすむから、文がぐちゃぐちゃする)、客観的(は僕が勝手につけたわけだけど)な視線は、むしろ経済的視点、それも消費が信仰となった今の世界の大半を覆っている経済。

ある程度以上のサイズのロースター、というのが僕には問題だ。焙煎の腕は、いわずもがな。福島以降、消費という回転の遠心力で転がる社会の歯車にはまってクルクル回るのは疲れる、耐えるのも疲れる。脱原発の立場をとりながら、自分の生活は何も変えないことに正直にいえば苛立ちも感じていた。そんな自分が、大きなロースターを購入することにはやっぱりどうしても抵抗がある。しかもべらぼうに高いんだから。

でも僕のコーヒーを飲んでくれる人には、自分がもっともっと美味しいと思えるコーヒーも出したい。僕の焙煎で、どうしても取れないと思っていたエグみが豆を変えた途端になくなってしまったことを考えると、このまま500gの少量焙煎で果たして自分が満足できるのか…

と思ったら、別に全部自分でやる必要はなかった。ただ、もっとも重要なファクターの、豆そのものを任せるということにはまだ、落としどころがなんとなくしかついてない。


自分で小屋を建て、手回しの焙煎機で焙煎し、ソーラーで小屋の電気を賄う。借金をせず、店を持たないから家賃を払わず、手元にある金額ではじめる。これはみんな、自分のサイズを知ることだった。僕にとって経済はいま、自分のサイズのことだ。

そしてアンチではなく、オルタナティブであること。普通に労働をして、同時並行で全く違う世界に住まう。こうやってだんだん自分の好きなことに(だんだん、のだんだんはただゆるゆると、では駄目なのだけど)シフトしていけばきっと誰でも無理ではないことを、示したかった。


結局、耐えられず僕は仕事をやめると言ってしまった。さてケツに火がついた。アートとしてやる、これ。忘れないように自らにいつも言い聞かせている。選択するとき、経済歯車の側からは決して選ばないこと。


モカ・イルガチェフ200gを焙煎。水抜きの段階で火力が足りず、焦って少し焦がしてしまった。強い火力が原因の焦げは、多分ダメだ。試飲したら、でも予報に反して焼きたてにも関わらず、すごくなめらかな水のような舌触り。挽いた豆からはモカのラズベリーみたいな酸味が香る。そのすぐあとに焦げた匂い…。でもうまい。全体的に平べったいのは、焼きたてだからか。一杯強、150ccを15gで抽出、というはじめての分量。これがよかったのかな。

手編み焙煎は、外気温に影響されすぎる。音の変化が如実にわかるのがやりやすく、楽しい。