読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

1月26日

曇り。夕方過ぎ、ポツポツと雨。暖かい。


スケートの思い出は、映像としては殆ど浮かんでこないのが氷に歯が食い込んで「ガッ、ガッ」と音を立てて白い跡を引いていくときに足の裏に伝わってくる感触を、耳で聞いている。フィギュアスケートは歯が厚いしブレーキになるギザギザが爪先についているから滑りやすい、とずっと思い込んでいたら、そんなことはなくて歯が短いから足がツルンッと前に滑ってこけちゃうから難しいことを初めて知った。下駄スケートの発祥は諏訪湖だそうだ。


杉山洋一という人の日記をwebで読む。とても素晴らしくて、次に次にと読みふける。


君が伝えたいことが伝えられないストレスを感じるのは当然だということ。もし君が伝えたいことがたくさんあって、指揮棒をもつ右手がそれを上手に演奏者に 伝えられないからといって、(殆どの場合は無意識のうちにだが)何でも闇雲に、顔の表情や、目配せや、足踏みや、身体をゆらしてみたり、歌ってみたりし て、何とか意図を伝えようとしてしまうのは間違っている。辛くても君が伝えたい事は、全て右手に収斂するような回路をつくるべきであって、それは繰返し訓 練すれば誰にでも出来るようになる。

音楽におけるコミュニケーションは、実はとても込み入っている。他者にその込み入ったインフォメーションを右手から伝えるためには、コミュニケーションの プロセスが、間接的であることを受け入れる必要がある。そのためには、感情や論理の言語化の訓練がまず必要であって、具体的に伝えたいことを他者に理解で きる言語に変換する煩瑣な手続きを、面倒がらずに真摯に噛み砕いて説明する鍛錬が求められる。

文章の終わりに(汗)とか(涙)とかと書くことで、細やかな感情表現を放擲してしまうとか、果ては文章の替わりに、大げさな顔のイラストを送ることで、大体の感情表現のコミュニケーションが瞬間的に実現できてしまう、と過信するのは実はとても危険なことではないか。
少なくとも指揮という煩瑣な作業は、それら一つ一つの情報を噛み砕いて頭のなかで言語化し、それを右手に情報をおくって、指揮という全く別の言語体系、未 知の外国語を通して、君の意思を伝えることに他ならない。それが面倒だと思っても、他者に君の音楽を伝えるためには、それだけの多くのプロセスを君がまず 受け入れなければならない。すぐに伝わらないからと言って、ひねてみたり、こんな感じで、とかインスタントな表現で済ますのではなく、他者にわかるよう に、わかる手段で、わかるほど噛み砕いて伝える厄介を、それだけの信念と執念と丹念をもって、頑張って培ってほしいとおもう。」