会話記録 10/12

「でも、最近のDQNネームはどうかと思うんだよね。」「出たよ。」「だって、名前が読めないって、当て字どころかもう当て字ですらないじゃん?光宙(ピカチュウ)とか。」

カウンターに肘をついてだらりと上半身をもたれかけて呆れた顔をしてみせる。「あのさ、徒然草知ってるしょ?吉田兼好。あれにさ日記が書いてあんの、あれいつの時代だっけ?

文自体は覚えてないけど、怒ってるのよ吉田は。最近の若者たちは子供に変な名前をつけすぎだ!つって。

寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、ただ、ありのままに、やすく付けけるなり。この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。 

何事も、珍らしき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。』こういうこと言っちゃうのが、年取った証拠を示すだけなのよ。」
バーテンダーの長谷川くんも思わず笑う。それにしたって33の年で吉田兼好と同じことを言い出すのはいくらなんでも早い。吉田兼好は出家した頃から徒然草を記しだしたと聞いたがすると30代半ばだ。実年齢と時代の相対的な年相応の差がどれほどのものかわからないが、どっちにしたってこんな凝り固まった33歳は老けている。

「いやでもさ、いくらなんでも最近はもう読めないんだよ。ほら泡姫って書いてさ、

何だっけ?」「何ですかね?」「ソープ?」

「それはDQN以前に名前にするのは問題あるだろ。てか、そんな安直なフリガナなら話題にならないよ。」

「あ、アリエルだアリエル。」

「アリエル?」

「あり得るじゃん!アリエルじゃん!」

キリシタンが迫害されていた時代や戦中、日本人のキリスト教徒が戴いた洗礼名にありそうな名前だけれど当時は片仮名の名前が幼稚なものだとは認識されなかっただろう。

「それで、読めないのが問題なの?」

コーヒーを珈琲と当てた宇田川榕庵はかんざしの「珈」と玉が数珠繋ぎに並ぶ「琲」とを字に当てることで、コーヒーの実がなる様を女性が頭に刺した飾りのついたカンザシに見たてた。可否とするよりもずっとコーヒーへの愛着を感じる。元素の名前を考案した学者がそうした、学者だからこそ珈琲という字を当てれたのかもしれない。

「子どもが大きくなったときを考えたらさ、安易に自分の好みでつけすぎっていうか」「確かにピカチュウじゃグレるにグレ切れないかもしれないけどな。何だよピカチュウのくせに、って。何?虐められたりするんじゃないかってこと?それなら、それは間違いだ。問題にされるべきはDQNネームじゃなくて虐める奴らの方じゃない?そっちより変な名前をつけることを非難するなんて、見当違いも甚だしいだろが!」

バーに来てコーヒーしか飲まずに何時間いるつもりなのか、窓の外の銀杏は赤く色づいて見える。上がってきた客は皆それを見て、秋のもの思いに耽るその直前になっていまがまだ秋でもなければ銀杏が黄色くもないことに気づき、それはバーのネオンが当たって赤く染まっているだけだ。

「読みづらいどころか字を読まない、とかあるじゃん。青空って書いて『そら』とか。あれは字画を考えてたりもするのかな。」「先生は困りますよね」「だよね、やっぱり泡姫じゃなぁ。先生がそれで「ソープさん」て言っちゃったら親に何言われるか、ねぇ。」

「銀行でフリガナ書くときとかは青のとこだけ空白にしたりして。」「カワカミ   ソラ。みたいにね。『苗字と名前の間は一つで結構ですよ』って言われて(笑)」「いや、これで名前なんですけど』みたいな。」「漢字の数だけ寿限無みたいにやたら長くて読み方はタロウになったりしたらすごいですねぇ」

「いっそ、全部空白ね。」

アフリカには文頭無音があるから、日本語で書こうとすると「ン」が名前の一番あたまにくることで空白を埋めることになるそれは会話のなかでは沈黙することになるけれどそれも含めて名前だ。名前のなかに休符があるようなものだろうか。まるで数字のゼロのようで神様に触れているみたいだ。あなたの中に神はいます。発音する言葉の端々から神が、目の前に現れる。

「読み方が難しいと困るからさ、全部片仮名にすればいいんじゃないかな。なんかカッコいい響きのがいいなあ」「それじゃやっぱりアリエルじゃん!アリエル、あり得るあり得る」