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5月4日

本当の5月4日の話、久しぶりに軽井沢にいく。世間では皆GW~と心躍らせるを聞き及び、我もしてみんとす。シーズン中の軽井沢ははじめてだったけど、これを知らずに軽井沢を語るなかれお主、と思って、そう言った。行楽地って、本当に人が溢れるのだなぁ。

ニューアートミュージアムで「六人の個展」。会期中、展示物が変わるらしく船越桂が見れたらいいなと思っていたら、見れた。そして船越桂の彫刻が最も印象に残った。スフィンクスと修道僧?のそれ。

接続する木を固定するボルトがむき出しだったり、材を貼り合わせた線を埋めずにおいたりアンテナみたいのが頭から出ていたり、背中にアトムの腹みたいな四角が残されていたりするのだが、特にスフィンクスは男女混合の肉体を持っていて、修道僧は服を着ている。そのせいでもないだろうが、それらによって現れるのは機械人形ではなくて、たとえば宇宙人が不十分な知識か能力でメタモルフォーゼした不完璧だけれど生身の肉体のように見える。丸太を欠いたノミの跡が血管のようにも見えて、特にスフィンクスの手は本当に生き物のようだ。修道僧の、そういった顔の接合部やアンテナ髪や背中の四角が逆に柔らかい肉体を想起させられた。しかもそれは木を彫り作られたもので、金属でないからそうなのだろうか。素材の問題なのか。となると、なんで目玉をわざわざ石に(確か大理石だった)したのだろう。最近、大理石に興味があるってそういえば会場でループされ続ける映像のインタビューで作家本人が言っていた。ていうか、なんで人の形に彫ってるんだろう。顔の小ささと首の異様な長さのアンバランスさでとられるバランスが、セザンヌの少年の長い腕みたいにバランスがとれて、そこも肉体性?とでもいったものがより生々しく立ちあがるということだろうか。久保田さんが好きなスチームパンクの逆方向なんかなあ、と考えたりした。

グラフィックのなんとかいう人の、百を超えるレイヤーを重ねて描かれた人の顔の絵は、絵の具は重ねると厚みが生まれるそのマチエールが、反対にフラットな面の中に今の3Dみたいな奥行きが生まれていておもしかった。でもそれ以上の何かは僕にはわからなかった。

奈良よしともの作品にかわいいなぁと思いながら、そこから先にいけなかったのは、やっぱり同じことなのだろうか。コンテクストがわからないからか。最近、コンテクストのこと考えたりする。文脈。

草間彌生の一部屋は撮影可だった。日本の美術館で撮影やスケッチが禁止されている意味がわからない。なんでスケッチ駄目なんだろう。美術館行きだしたころ、写真の展示の模写したら怒られたことを思い出す。