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4月3日

曇り。夜から雨。


桜が咲くといつも夜には雪か雨が降って、桜並木の桜ははやくも散る運命になっているのだ。今年も咲いたら、雨が降った。と書いた途端に「咲いたら、降った」って僕が思っただけで、きっとただ「咲いて、降った」。弾けるみたいに「ポン、ポン、ポポン、ポン……ポポン、ポン」と音が聞こえてくるような、綿みたいに桜が咲いていた。満開の時より、葉桜が芽吹きだした、白と赤と緑と黒で木も地面も一緒くたになっている時が一番好きだが、それよりもいろんなものに混じってちょっと一本咲いてるくらいがもっと綺麗に見えるのは、綺麗なのが桜だけじゃなくて、そこ全体だからなんじゃないかと思った。桜だけじゃなくって。


悶々としている。たとえばこの日記は、どのように読まれているか。日記を公開するってことは、書き方そのものに確実に影響するし、書き方に影響すると僕の場合、それに引っ張られる思考そのものが影響されることになる。(今はまあ、いいか。わかってるし)と今は思っても、もし読み返した時には僕に残っているのはその時読んだこの文章の方だけになっている。そうでなければ、この文章が突然フリーズしたりして消えちゃっても、もう一度はじめから書き直せばいいだけなのに、絶対に僕はもう、この文章を書けずに全然違うところに向かってしまう。だから、本当はここで踏みとどまって、自分の思考を掴もうと言葉を探さなくちゃいけない。もちろん、読んだ人には書かれなかったものは読めないので僕が書こうとしたものが何だったのか聞くこともできない。だいたい、今この文章自体、書き始めたときから随分知らないところに来ちゃってしまった。

何を書くか、じゃなくて、どう書くか。ということの重要性が、僕にはちゃんとわかっていなかった。でも思考自体がそもそも他の誰かからの受け売りのコラージュから作り出されていくわけで、書き方も模倣から入っていく。文章を読んだことがなくって、いきなり文章は書けない。それなら、自分が向かいたい思考の雛形があるなら、その思考が現された文体を丸写ししてみるのは、けっして間違った方法でないのかもしれない。天才でないのよお前は。


天気を記して(天気は、とても大事なことだ)、その日起こったことを箇条書きにとどめて書こうとはじめたものがそういかない、ということ。