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3月12日

晴れ。街が白く霞んでいた。黄砂?


図書館に行く。


松浦くん、陽平さん、ユウスケ君と話す。薪ストーブの話からリニアの先日のシンポジウムの話まで、高速でピューと話が飛ぶ。

トークイベントの集客法、反対派の反対の仕方諸々が、本人達が望む方向を考えるとうまくないんじゃないか、もっとうまくできる方法が。と具体性のない批評を賢しらに語るのを聞くのはつまらない。小説の話だけども「批評とは、作品に寄りかかるものじゃなくて、新しい創造だ」ということがどういうことか、こういう時にも言えるんだなぁ、と思った。一人の人間が全てに深い関心を継続的に示すなんてできないけれど、常からとくに渦中にいて考えている人のことを思わずには言われなくなってきている。「一つの小説を批評しようと思ったら、少なくてももとの作品より厚くなってもおかしくない」と言ってたのは誰だったっね。


つい先日、人の領域は想像よりもずっと狭いはずだったけど、坂口恭平の日記にあった狩猟生活を送っている時分は空間認識が今とずいぶん違っていたらしい、という記述があったのを読んで僕が想像している以上には広い、というか広かったのかもしれない。単純に忘れていた。例えばカマキリが、燕が、猫が空間だけじゃなくて時間的にも今の人間とその幅が違うので、人間もいつ頃かまではもっと幅の広い認識を持ってたのかもしれない。その分、どこか今得たものはあるだろう。それは何だろう。認識を洗練させていった武術の達人が観ていたあの観方をみてみたい、と思う。