2月27日

終日、雨。


前日、仕事をやめてからはじめて人と外で飲む。朝になっても降っていた雨はそのまま降り続き、夜になってもやまなかった。その次の朝、雨だけはあがって、家を出る前に外から山鳩の鳴き声がはじめて聞こえ、下りの道すがらの両側の田畑から上がる湯気と南アルプスを麓まで白く覆っている低い空の隙間にぼんやりと街が浮かび上がった。こうやって、雨が降るごとにまた、春になってゆくだろう。


ハローワークに労働先を探しに行く。バーテンダーって替えがきかない職業なのだな、てことはないのだろうけれど何の資格もない僕は求人の資格欄から社会的にあなたはかなりのところ無能力なんだよ、と言われている気にさせられる。そして肝心のお給料欄の金額を見る度に、自分で何か事を起こした方が余程いいんではないかやっぱり、と思いそれをしない自分にうんざりさせられる。相談員は「35歳がタイムリミットですよ」と言う。本当に言うんだな、そんなことを。お前は一体30年何の責任を果たしてきたのだ?私はカウンターを挟んで、もしくはパソコン画面を挟んでお前とは全く違うところに立ってお前に二本しかない手を差し出してやっているのだよ。お前みたいな奴がみんな私らのように責任を果たしてくれていれば、この差し出した手を別のことに使うこともできるというものなのに、社会はさらにより良いものにしていくことができるというものだ。文句を言わず、まずは責任を果たしたまえ!

僕も肩が重くなって身体が萎んで息苦しくなってきて、いかんいかんと背筋を伸ばしてパソコンに向かう隣の人に、

「あなた、背中丸まってますけど、それあなたの重さじゃないですよ。俺には何の資格もない、35歳までに決めねばならない人生に失敗した、社会人と呼べない人間だなんて思ったら、それは奴らの思うツボですよ。奴ら?それが誰なのかはわかりませんけど。でも、わかってるでしょう?」

と互いに鼓舞し、僕は颯爽とその場を立ち去る。口には出さなかったが。

暫くすると、あぁやっぱり僕は駄目だ、とにかくどこでも仕事をせねば、世間に顔向けできやしない。いや、お前みんなに大風呂敷広げちゃって、それでいいの?あんなに批判していた社会の仕組みにそのまんま嵌っちゃって恥ずかしくないのか!?

でも、そこにいる人は皆、人であって社会じゃないよ。だいたいお前は社会なしで生きていけるのか?それも1人だけじゃないのよ。


で、僕は両方とることにした。労働と、仕事を。あぁ、なんでいつもこう面倒くさくしていくのだろう。

帰って、天ぷらを揚げる。天ぷら蕎麦。


夜、松浦くんと伊藤くんとあって相談?にのる。だから、僕はこんなことしてる場合じゃないんだ。そう思いながら、結局1人で喋ってしまう。

人の内面のほうが身体的な運動に引っ張られやすいのだから、伊藤くんはネガティブを直そうとするより身体の動きを変化させるほうが早いし無理がないと思う、湧き出る感情や人を思う気持ちに資格や許可がいりますか?そんなものはありゃしない、自然に発生する感情をないものとして抑圧するのは衛生上よくないですよ。

相手の言動からいろいろとどう思っているのかその意図を想像してしまうのは当然だけれど、その想像は君のただの思い込みかもしれないし、これが最悪だったかどうかもわからないのだから。一つの言動からだって、いろいろなことわ想像できる、なぜそのうちの一つを最もあり得ることとして人は選んで、さらには一喜一憂するのか。その根拠が、ただ最もあり得るかもしれないから、というだけなのに。


なんてことを偉そうに語ったり思ったりして、それが全部自分に返ってきて、帰ってきて炬燵で小島信夫『暮坂』をたまたま読んでいると、果たしてこんな文章があった。

「表面はもちろん、その表面を見せている人や物の一部にすぎないけれども、それでいてそれが全部であるのかもしれない。その人や物の特徴が、それなりに出てしまっているというようなこともあるが、もし時間がそこでとまってしまったとしたら、その表面がその人、その物のすべてであります。」


「もし時間がそこでとまってしまったとしたら、その表面がその人、その物のすべてであります。」というところに、すごいなぁ、と感心してしまった。二日にまたいで雨が降ることは珍しい。道端の雪は、あらかたとけた。