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9月17日

晴れ。筆を滑らせたような雲がいく筋か。ほぼ満月、風なし。


昼に起きて新京亭で雲呑麺。それはらトロピコに行って、小説を書く。鹿が夢をみることを知った、少なくともここではそうなった。

優子さんを迎えにいき、飲み会だというので久しぶりに林っさんに連絡をして、会いに行く約束をし、豚カツを揚げ、一枚はカツ丼にして食べた。一枚はお土産に、白桃カレーと一緒に持っていく。


日が変わる頃まで林っさんは酒を飲み、自分はコーヒーを飲み話す。久しぶりの林っさんとの会話はやっぱり楽しい。殆ど聞くに回るわけだけど。

林っさんが寝てしまってから、しばらくくっだらない小説を読んで(それをみた彼は「ご飯食べとるほうが、美味しいで。」と言った。その通りだなぁ、と思った)、三の蔵に行く。


風がなく、飛行機雲がそらの端から端まで一直線にかかっていた。山際の雲も停滞したまま、その上に月がのぼっている。そういえば、福島へ行って思ったことの一つは空が広いことだった。みな同じ空をみているわけではないんだな、と。


岡潔『春宵十話』を読む。

岡潔が言っていること自体は、今でも年長者が言うこととあまり変わりないように、まだ若いからか僕には聞こえて、いつでも最近の若者は…社会は…と言うおじさんの言うことだと思い、しかもそういうことは徒然草の頃にも吉田兼好は憤りをみせているし、しごく全うだろうけど、いつの時代も変わらずあることのように見える。

だがしかし、語られる流れが捉えづらく、そして頭が動かされることばかりで何度も読み返しては咀嚼している。

知性とは理性とは違うもので理想を含んだものである、ということや無差別知が、意志を働かせることによって働く智力ではないということ、自明のことを自明とみる力であるということ。

正義的「衝動」。

いってみれば空間というものはこのように頼りないものだということです。(惑星や銀河の配列など)宇宙の構造は、だから科学というよりグラフに近いものです、という時。

学問と芸術のつながり。