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8月20日

晴れ、雲多い。風の強さがわかる形。


宮崎駿『風立ちぬ』を観る。

踏み込んではいけないところに踏み込んで見えるものを見せられた、と感じた。わからない。

最初の、自作と思われる飛行機が飛ぶ夜明けにいきなりヤられた。飛行機や爆弾が生き物のようにサイズを変える、そもそも飛行機のデザインが時代背景とはあわない、すぐ後でそれが二郎の夢だとわかるけれど、そして度々夢が一応夢として描かれるものの、その二郎固有の夢を夢とする基盤というか境目がゆるくて、その緩さが作品を壊す勢いで迫ってくる、不穏だ。実在の人物と時代をベースにしてこの作品が描かれているということがそこには間違いなく影響していて、たとえば『ポニョ』のようにファンタジーとして回収できないことが不穏さーー作品の持つ固有のリアリティの強度ーーを強めている?

震災の場面の、揺れがまるで波のように広がって線路が地面ごと波打って迫ってくるところ、結婚式で菜穂子が部屋に入ってくるとき、正面から向かってくる電車、図面をひくその鉛筆の線、草原に生えるその種を特定できるくらいに描き分けられた植物、風、群衆、個々の描写や場面が半端ない。が、その類を見ない眼の細やかさが一つの流れにならない。例えば二郎が学校を飛び出して行く時荷物を持ってきた女性とし地思い描くのは菜穂子の連れの女性であり、そこはそこだけで独立してあり物語として回収されることはない、という物語としての流れもそうであるし、それこそ夢の場面と現実とされる場面の境界の曖昧さ、などもそうだ(ここでふと、その境界を示すアイテムとしての煙草を思い出す。その、吐き出される煙)。

それこそ、風が抜けていくのではなく、風が巻き起こるその発生を観ているようだった。全体としては盛り上がりを抑えて進んでいった。

風景の描写。簡略化されて筆致が目立つ夢の背景。印象画のような風景。遠近を排した平面、と思いきやそれは真上から撮られた野原やレンガ道である。

本庄は「矛盾だよ。貧乏な国が飛行を欲しがる。それで俺たちは飛行機を作れる」ということを言い、カプローニは飛行機は狂おしい夢だと、「君はピラミットのある世界とない世界、どちらを選ぶのか」と問う場面が挿入されていること。