6月14日

午前中晴れ、午後から曇り時々雨。朝方に久しぶりに雨がしとしと降っていた。

八時半に起きて、優子さんを車で送って二度寝。昼過ぎに起きて、店の買い物。
そのあと、ミスドに寄って原稿用紙を開いたけど、三行でストップ。群像劇の描写で、それぞれの会話と動きが鈍くて動かないので、それをどうするか悩んでいる。
そこで話は飛んで群像劇を描写する際に、河原で飛び回っているツバメの集団の動きを取り入れるとする。スズメの方がいいか。スズメの塊が庭で好きずきに地面をついばんだり、互いに鳴きあったりする場面を下敷きにして場面を描写したとき、もしそこで
「彼らはまるで庭先に降りてきては勝手気ままに虫を啄んでいたかと思えば、一羽が急に飛び立って電線に掴まると瞬く間に残りの雀がそれに続くようにピョンピョン、わいわいと気儘にバーベキューを楽しんだ。」
などという一文を描いてしまったとしたら、長さが長すぎて機能しなくなってるように見えるがそれは僕の下手さであって、そんなことよりこの一文は、その場面全体の失敗になりはしないか。
雀の集団を下敷きに描いた場面を読んだ読者が、自分のいえや街中の雀たちを思い出したとしたら、比喩として成功した。そうでなくて、比喩を書く側が言ってしまっては、それはその作品の世界を厚くすることに失敗していることにはなるまいか。

てことを考えながら、店からの帰り、携帯をずっといじりながら帰りの道筋の3分の2もきたところで、3分の2もこれたことにいつもながら驚いて、なにしろほとんど周りや足下を見ていないのに来れてしまったのだから。
それで、あぁ小説を書くことも一緒に違いない、と思う。それから、田島さんと話していて、ネタバレされて面白みがなくなるようなものは、元々それだけのものでしかない、ということを言い合ったことを思い出す。
朝の四時半にもなると、夏の夕方のような明るさが窓の向こうにあって、時間が止まったような、いつなのかわからなくなるようなこんな明るさが、好きだ。