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6月9日

曇り。空が持ち堪えるような重たい雲のまま、結局雨が降らない。

起きると背中がばきばきに凝っている。なんとか解して、平安堂に出かける。原稿用紙を広げるもなかなか進まず。1時間ほどして、少し進む。図書館に移動して、また少し書く。保坂和志カフカ式練習帳』とG.ヤノーホ『増補版・カフカとの対話』を借りてくる。

遅くなってしまったが、優子さんが優しく迎えてくれてよかった。


慎平君が来る。逆子のまま10日早く自然分娩で、母子ともに健康とのこと。急なお産だったらしくまんな大忙しで、出てきた瞬間にお医者さんが頭のあたりをクルッとやったらポトリ、と落ちてきたのでそれを隣で立っていた慎平君が受け取った。

なんにせよ、良かったよかった。


自然を書きたいのだが、描いていると必ず社会のことに思いが伸びてゆく。リニアの件もそうだし、鹿の被害だって伐採、間伐の不足による森の荒廃も全て人間社会のにとっての問題だ。というか、いま問題と打って、問題と名指されることなど全て人間の側のことではないか。自然は、何も問題にしない。

自然にとって、人間はいなくなったほうがいい。という発言は、人間を中心に置いた思考である以上、彼らが真っ向から批判する、人間至上的な考えとおんなじことだ。

そうだ!僕はとにかく自然を描くことだけに集中すればいいのだ。そこに例えばリニアのことなどを挿入しようとすると、どうしても否定的な色合いが、その否定がリニアに対するものであっても、文章全体に付与されてしまう。そんなことにかかずらっていても仕方がない。とにかく、自然を肯定する書き方を掴まなければ!

言うまでもないが、なら言うな。肯定することは、肯定的な内容のものだけを書く、ということではない。自然を肯定する、とはあの荘厳な美しさに、地震も津波も土砂崩れも何もかもひっくるめる、ということだ。どうやったら、今、肯定することができるだろうか。